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bodytune(ボディチューン)音楽家のための鍼灸

天才科学者が蒔いた脳科学の種と鍼灸

" 雑記 "

2022年12月12日

この本を読んだのはその表紙に関心を引かれたからだ。

画像左下に写っている、フレームに固定された頭蓋骨。フォーカル・ディストニアの治療法である定位脳手術でもこれとまったく同じフレームが使われる。

音楽家向けの施術をしていると一定の割でフォーカル・ディストニアの患者さんに取り組むことになる。私のところも患者さんの何割かはフォーカル・ディストニアでお悩みの方だ。その治療法については鍼灸以外のものも含め常にアンテナを張っており、定位脳手術もその一つだ。

 

だからこの写真を見て定位脳手術について書かれた本と思って読み始めたら、内実ははるかに深かった。現代脳科学の最先端が実は一度忘れ去られた1950年代の医師ロバート・ヒースが着想したことにつながっていくという話だ。

 

忘れられる過程は精神医学史としても読むことができ、たいへん興味深い。

 

フロイト、ユングの精神分析学に対して、脳や体の構造・機能から精神疾患を解き明かそうとする立場を生物学的精神医学と言う。ロバート・ヒースの立場は後者である。しかしヒースより一時代前の精神科医がやっていたのはロボトミー手術や電気ショック療法であり、すこぶる評判が悪かった。それらと比べればヒースが取り組んだ定位脳手術ははるかに低侵襲で安全な治療法のはずだった。

 

ところが同じ生物学的精神医学の中から向精神薬が登場すると、定位脳手術は脳の外科手術という点でロボトミーと同類と見なされるようになる。倫理的、人道的観点から否定されてしまうのである。前回のブログで紹介したオルダス・ハクスリーの『知覚の扉』が出たのも1954年。ハクスリーのように手放しで薬の可能性に期待する人は社会全般に多かったのだろう。薬物療法は時代の後押しを受けて瞬く間に広まった。

 

こうして精神分析学は精神医学の主流から外れて代替医療やスピリチュアルの方にその派生物を流し込むこととなり、ヒースの定位脳手術はいったん完全に忘れ去られた。

 

厳密に言うとヒースが取り組んだのは脳深部刺激術であって、そのために必要な手術が定位脳手術である。定位脳手術を必要とする治療法にはもう一つ、凝固術があってこちらは脳内の一部を熱で焼く方法である。焼いてしまうので一度やったら元の状態に戻すことはできない。一方、脳深部刺激術は電極を脳内に入れたままにして電気刺激を与え続ける方法だ。もし不要になったら電極を抜けばよく、元の状態に戻す可能性が残されている。

 

ただしヒースの時代には電流を流すために電極を頭から露出させておく必要があった。その見た目は一般の人々に拒否感を抱かせたかも知れない。なにしろ頭からアンテナが生えているような風貌になるのだから、ロボトミーという言葉のイメージとも結びつきやすいだろう。現在では電極も電池も完全に皮下埋め込み式なので見た目には分からない。心臓ペースメーカーや人工内耳と同じだ。

 

では1950年代、今から70年前に脳深部刺激術を通じてヒースはなにを発見していたのだろうか?

 

初期には統合失調症の治療に脳深部刺激術を用いており、無気力状態で一言も話さなくなっている患者の脳の中隔野に電極を挿入し、電流を流した報告が残されている。この患者は半年ぶりに人に話しかけるようになった。

 

また重い関節リウマチによる疼痛が、術後長期にわたって消失ないし軽快したとの記録もある。これなどは白血球、ステロイドホルモン、コレステロール等の数値変化も同時に記録されていて、脳を刺激することで体内の生理学的変化が起こったことが示唆されている。これを受けてヒースは、体内環境が思考によって変化するとの仮説まで立てている。

 

神経系を刺激することで関節リウマチを治療する発想は現在、アメリカ国立衛生研究所が予算をつけて研究が進められているそうだ。脳を直接刺激するのとやや異なるが、迷走神経に埋め込む小型の刺激装置が開発され、臨床試験段階とのこと。そしてヒースが報告したのと同じような効果が確認されている。

 

このように制御系から体内の生化学的環境を変化させる治療法は現在ではバイオエレクトロニクス医学と呼ばれ、最先端の分野である。体内環境が思考によって変化するとのヒースの仮説はまだ生き続けている。

 

統合失調症についても現在、コロンビア大学の研究チームが取り組んでいる。ヒースの時代と違うのは脳内化学物質の知識や脳内の部位、疾患との関係性がかなり細かく明らかになっていることだ。

 

またうつ病についても脳深部刺激術での治療法が開発されており、脳内の25野の中のある3本の神経束が交差する場所に正確に電極を入れるともっとも効果を引き出すことができる、というようなレベルで特定が進んでいる。

 

これらの研究成果は鍼灸とも無縁ではない。最近の脳科学では鍼による刺激で脳波に変化が起こることが分かっている。そしてその変化と鍼による鎮痛効果との関係が示唆されている。

うつ病などのメンタル疾患についても今日多くの鍼灸院が取り組んでいて一定の成果を上げている。また関節リウマチへの鍼治療で症状のみならず血液検査の数値まで改善するケースもある。

 

機序が分からないのと再現性の問題で現状ではエビデンスが足りないのだが、もしも鍼刺激による脳活動の変化に法則性・再現性が認められ、精神状態や体内環境との相関が明らかになれば鍼治療はプラセボではなくなる。脳深部刺激術の知見が鍼の効果を新たな側面から証明する日が来るかも知れないのだ。

 

ロバート・ヒースは70年前に薬物療法との競争に負けてしまった。もし彼が取り組んだ分野が順調に発展していたら、脳について、そして脳と体の関係性についてもっと多くのことが分かっていた可能性がある。そして痛みや自律神経系やメンタル系の疾患に別な治療選択肢を提供できるようにもっと早くなっていたかも知れない。そう考えると1950年代の薬物への期待感が失わせたものはとても大きいと思う。

この記事を書いた人

2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。

2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。

はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師

 

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