彼女が守りたかったもの
かみさんのヨガの仲間で僕ともお互いに知っているガン患者の方がいました。
どういういきさつからか、ある時点から病院でのガン治療を断りヨガや鍼灸などで治そうとしていて、もともと鍼灸はガンを得意とする治療院にずっと通っていました。
ところが病状が進んで出かけるのが難しくなり、ときどき身の回りの世話に行くかみさんと一緒に僕に声がかかり鍼をすることになりました。
まだ夏の暑い盛り。
行ってみるとわりと元気そうに見えました。
話しぶりも普段どおり、ただ腹部の転移が進んでいるせいで圧迫感があって楽な体位が限られるから横になっていると。
たあいもない日常の話題から体のつらさに話題が移り、お話しの片手間にやおら触診したところで気づきました。
返すべきツボが感じられない。
しばらく体を動かしていないことで本当にツボが消えたのか、僕の触診が下手なのか分かりませんが、分かっていたのは僕の鍼では多分お役に立てないことです。
「手を洗って、それから鍼の用意しますね」と言っていったん立ちました。
彼女の家に入ってから二度目の手洗い。
洗面所で進むか引くかを考えていました。
彼女は手術や緩和ケアのことも当然知っていて、それを選ばなかったのは先々、今の自分が考えている自分の形が保てなくなると思ったからな気がしました。
もちろん手術や緩和ケアをすると必ず自分の形が保てなくなるわけではありません。
それは人それぞれの自分の形の定義によります。
病院でなにがあったにせよ、自分にとってそれが相いれないことだと彼女は受け止めた、と僕は思った、ということです。
確実に敗北することが分かっていても最後まで戦って実際に負けてから納得したい、という心情があります。
他人がどう言おうと自分のことは自分で決める、インディペンデンスに徹する人なら、役立つ道具かどうかは使ってみて自分で決めたいだろう。
僕は道具に徹することに決めて施術しました。
でもやはり、鍼をするよすがが感じ取れない中で施術するのは難しいものです。
「鍼もいいんですが、、、本当に気を許せる人がいたら、その人につらいところをさすってもらう方が楽になることもありますよ」
彼女がどう感じたか分かりませんがメッセージが来てまた頼みたいと言われ、しかしそれはかないませんでした。
約束の日の前日に亡くなられたからです。
その後立ち上げられたFBの追悼ページは満面の笑みでヨガをする、山を登る、島をめぐる、薬草をこねる彼女の姿で埋めつくされました。
メッセージ欄は、また会おうね、と前向きな言葉であふれました。
これが彼女が守りたかった自分の形だったしたら、それはみなさんの心にしっかりと残されていて、これはこれで良かったのだろうと今は思います。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師