オルダス・ハクスリーへの違和感
オルダス・ハクスリー(1894 – 1963)は英国出身の作家である。『すばらしい新世界』というディストピア小説でSF好きの間では知られている。
晩年は神秘主義に傾倒し人間の可能性を高めることに期待と関心を抱いた。その方法として向精神薬(つまりは麻薬、ドラッグの類)の使用を肯定しており、メスカリンという幻覚剤を用いた体験を著書『知覚の扉』で発表。そのため米国のヒッピー、ドラッグ・カルチャー、ヒューマン・ポテンシャル運動界隈でも知られた人になっている。
ハクスリーはまたアレクサンダー・テクニーク界でも重要人物としてちょいちょい名前が出てくる。アレクサンダー本人からレッスンを受けて、著書で称賛していることがその理由である。
著名人が持ち上げてくれることは大変な宣伝効果があるしありがたいことである。しかしそれが過ぎると元祖よりも宣伝側の主義主張に引き寄せられた形で理解され、広められる。ハクスリーとアレクサンダー・テクニークの関係もそのようなものではないか。あらためてハクスリーの文章に当たってみてそのように思った。
もちろん共通点もある。アレクサンダーもハクスリーも二度の世界大戦を経験して人間はこのままではダメなんじゃないかと危機感を持っただろうし、そこからどうしたら良いか本気で考えたことだろう。
しかし「感覚認識はあてにならない」と言って、感覚よりも思考にひそむ無自覚な罠に着目したアレクサンダーに対して、ハクスリーは「わたしたちの気づきのもっとも基礎的なものは筋感覚」であるとして「堕落した筋感覚に原初の完璧さを回復させる」ことが必要と考えた(『多次元に生きる―人間の可能性を求めて』)。
ハクスリーにとっては「気づきを高めるということは絶対的に善」(『多次元に生きる―人間の可能性を求めて』)であり、「人間は誰でも…宇宙のすべてのところで生じることすべてを知覚することができる」(『知覚の扉』)と考えていた。余談だがガンダムのニュータイプはまさにこの延長線上にある。そのための方法論というのがハクスリーのアレクサンダー・テクニークの理解のし方であり、方法は薬物でも一向に構わなかった。
このようなハクスリーの理解をアレクサンダー本人がどう思っていたかは、書かれたものがなく分からない。
ただ当時は、気づきとか宇宙的な知覚といった考えはとてもウケた。『知覚の扉(The Doors of Perception)』という書名はそのままドアーズというロック・バンドの名前になったし(「知覚の扉」自体はウィリアム・ブレイクの詩の一節だが)、宇宙的な知覚、偏在精神説は個を超えたトランスパーソナルな意識への志向を後押しした。
現在、アレクサンダー・テクニークでベテランと言われる教師の多くも、自覚・無自覚を問わずハクスリーの影響が残っている。さすがにドラッグを肯定することはないが、知覚の拡張であったり他者とのつながりといった話が好きな人が実に多い。他人の感覚や思っていることが「分かる」とまで言ってしまったりする。
そもそもアレクサンダー本人は徹底した自己観察から始めた人で、知覚だの意識だのを拡張して宇宙だの他人の考えていることだのを知ろうとした人ではない。そんなことができるとも言ってない。
人間には五感があるのだからそこで得られる情報をまずは吟味すべきだし、言葉があるのだから相手の考えは聞いてみたらいい。それを経ても分からないことがあるのは当たり前で、分からないままに考え続けるだけだ。その際に論理や経験的法則は補助線として使えるが、考えることに耐えられず「分かる」としてしまうともっと不確かな勘にいつまでも頼ることになる。
だから私はアレクサンダー・テクニークにまとわりつくハクスリー臭を排除すべきだと思っている。
だいたい害悪が大きいのだ。ろくにコミュニケーションを取らずに相手のことを分かったと思い込む人がいたらどうだろうか?しかもその人が教師だったら。
思い込みでレッスンを進められれば教師は楽だ。自分の世界に閉じこもったままでいられるのだから。しかしそれでは他者とのつながりは永遠に求められない。個人的体験として、初めて会った海外からの教師に”I know you are angry”と言われたことがあるが、そこにあったのは無理解以外のなにものでもなかった。
ところで『多次元に生きる―人間の可能性を求めて』には翻訳者片桐ユズルが米国のハクスリー生誕百年祭(1994年ロサンゼルス)に参加した時の話が付録になっている。
ハクスリー生誕百年祭のテーマの一つは「意識的な妊娠」だったそうだ。『知覚の扉』にもこれについての解説が付されており、より具体的に「親は妊娠する前から知性と愛情をもって意識的に出産にあたらなければならない」と書かれている。
私などはこれを読んで、意識的でなければ子を持つ資格すらないようなディストピアを思い浮かべてしまった。なんという「すばらしい新世界」だろうか。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師