ある日の帰り道に
電車で帰宅する途中、隣に座った方がなにやら手を振り始めました。最初はてっきり音楽家かな?と思いました。音楽をやる人なら電車移動などの隙間時間にスコアで勉強することはよくあります。そして熱が入り過ぎて頭の中で鳴らしている音を身振りでも表現してしまう、特に指揮者だったら無意識に指揮棒を振るように手が動くかも知れません。
しかしその方の棒はそれにしてはテンポがランダムで、いくらなんでもこんなにテンポが揺れるのは音楽ではないかも知れない、と思い直しました。
コノヒトハ イッタイ ナニヲ シテイルノダロウ?
ガン見は失礼なので視野の端で目をダンボにして観察すると、動かしているのは右手だけ。さらによく見ると首をすくめたり頭を振ったりもしています。そして左手にはスマホを持っていて時々画面に目を近づけてじっと見ています。
「あ、これは手話だ」と気づいたのはだいぶ経ってからでした。それもおそらくネイティブの。スマホごしに手話をする姿は水を得た魚のように楽し気に見えました。
私は自分がもし耳が聴こえなくなったらどうだろうと考えました。すでに右耳が聴こえないので左耳もダメになったら中途失聴です。読唇も手話もできません。普段深く考えることはありませんがたまに想像します。
私が話す声を相手は聞き取れるでしょう。しかし私は相手の言うことが分かりません。字で書いてもらうなどいわゆる配慮をしてもらわなければなりません。すると目の前の相手とラインでやり取りするような状況が目に浮かぶわけです。話せば分かることを字で書くのは面倒な手間です。私ならそう思います。自分が面倒だと思うことを人にさせていると思ったら遠慮が生まれます。何気ないおしゃべりが配慮や遠慮のためにうまくできなくなるかも知れません。
この方が話している相手ももちろん手話話者でしょう。難聴者と健聴者ではありません。だからちょっとずれた話であるのは承知の上です。ただ配慮や遠慮のいらない関係性は得難いものであり尊いと思ったのです。
鍼灸院に来る患者さんには遠慮してほしくないと私は思っています。しかし私の側がとても気遣って配慮していたらその配慮は気取られて遠慮を生むでしょう。特別配慮してる感じでもないのに安心感があって遠慮せずにいられる。鍼灸の患者さんとの関係性もこういうのが理想ですね。
スマホごしに手話でおしゃべりする人を見てそんなことを思ったある日の帰り道でした。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師