はぶせと暴力と
「はぶせ」という言葉はなじみがないかも知れません。
僕が育った地方の方言なんで当たり前です。
意味は「仲間外れ」です。
人に対して使うと、いじめであり、差別であり、存在の無視でした。
中学時代、1人の男子生徒がパンツをぬがされ教室からしめ出されたことがありました。
その子は外でうずくまったまま、中ではパンツを蹴って遊んでいました。
はぶせにされる子は何人か決まっていて、クラス替えがあってもやっぱりはぶせでした。
どうしてそうなったのか理由は分かりません。
理由などなくて、きっかけとムード次第と言った方がいいかも知れません。
1人の子は小学生のときに自分の吐物を食べてしまったのがきっかけでした。
教師が給食を残してはいけないという指示を(これ自体が今となっては疑問だが)雑に与えたことに原因があります。
なにしろそんなことをきっかけとして揶揄・からかいに始まり、無視、遠ざけるようになり、それが小中学校通じて何年も続くと人間関係の定位置として固定化されていきます。
中学生にもなるともう誰にも動かせない暗黙のルールのようになっていました。
で、はぶせにされる子はそういう子たちでいつもグループで行動していました。
何度クラス替えしても定位置のまま。
途中、帰国した中国残留孤児のお子さんが編入してきて(当然、日本語が不自由でした)、その子もほどなくしてそのグループに加えられました。
はぶせはみんなの協力がないと成り立ちません。
みんなが少しずつ加担していました。
「関わるのは面倒だ」という気持ちが僕にもありましたから。
みんなが少しずつやめればいいのにそれができませんでした。
僕の学校にはもう1つ、ガチな暴力がありました。
髪の毛つかんで爪先がつかないくらいに持ち上げるとか、正座させた子に集団で蹴りを入れるとか・・・
教師がですよ。
全校集会の場だったり、職員室前の廊下で、大勢の前で見せしめのように生の暴力を生徒にくらわせていました。
教師も生徒もどうかしていました。
この話を大学のゼミでしたことがあります。
そのとき教授は「だいぶ人権のないところでお育ちになられたようで」とやや茶化すようにコメントし、他のゼミ生の笑いを誘いました。
それ以来、理解されないと思って言うのをやめました。
なんで思い出したかというと大今良時の『聲の形(こえのかたち)』を読んだからです。
『聲の形』の評判をネットで検索したら、あれをフィクションとして受けとめられない人が少なからずいることが分かりました。
調べてみると大今氏は僕よりも2まわりくらい若い漫画家です。
にも関わらずそれなりの現実感を持ってあの作品を描いたとしたら、どうかしていた場所はもっとたくさんあって、今でもどうかしているのかも知れません。
えぐられるなあ・・・
とても良い作品なんですが。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師