鍼灸師とアレクサンダー・テクニークを語る(2)
群馬 養気院の副院長岡本さんとアレクサンダー・テクニークを語るシリーズ、続きです。
動きの観察ってどんなふうに見えるの?
僕の通ったアレクサンダーの養成校は授業はグループ形式で、先生1人に何人かの生徒で進みます。
自分が先生にレッスンを受けているところを他の人は見るし、また他の人がレッスン受けてるところを自分も見ます。
そうするとレッスンの前後で人の動きが変わる様子を何年も見続けることになります。
前後比較可能なものを観察し続けるとどんな人でも違いが分かるようになるものです。
僕にとっての見え方ですが、使っていない関節があるとその部分が一個の塊として見えます。
体の一部に塊があってそれがあっちに行ったりこっちに行ったりするような感じです。
それがレッスンを受けると塊に見えてたものがぐにゃっと他の部分と連続して動くように見えます。
さっきまで使ってなかった関節を使うからでしょう。
興味深いことにこの変化は鍼灸の施術前後で患者さんが見せる変化と同じです。
ドアを開けて入ってきた時の動きはどことなくぎこちなく、終わってお帰りになる時は全体に連続した動きになります。
いい動きと悪い動きはどうやって分かるの?
この問いが最も答えにくいものでした。
自分がやったこともなく見たこともない楽器の人が来て、奏法についてアドバイスを求められたとします。
何が良くて何がだめか分かるものなのか?
実は分かりません(笑)
そもそも「良い動き」の定義を決める必要があります。
これをしたいという目的を達成できる動きが良い動きだと考えると、目的が何か定めないところで動きだけの良し悪しを問うのは不毛です。
だからレッスンでは何をしたいかをまず確認します。
本人の希望を念頭に実際やってるところを見せてもらうと、使っていない動きでもっと役立てられそうなところが見えてきます。
そういう未使用の動きのリソースを使うように言葉でアドバイスしたり手でガイドしたりして、もう1度やってもらってさっきのと比較する。
これの繰り返しです。
運動学や機能解剖学など、動きについて学問的に定められた決まりごとみたいのがありますよね。
健康上腕リズムとか筋肉の作用とかああいう類。
考える役には立ちますが、あれを前面に出すと現場ではちょっとずれる感じがします。
人が欲しいのはやりたいことがうまくいくことであって健康上腕リズムではありませんから。
例えがうまく思いつきませんが、家系ラーメンを注文されてるのに讃岐うどんの方がおいしいですよって出しちゃうような。
鍼灸でも、患者さんの訴えとまったく関係ないツボが魅力的に映ることってないでしょうか?
手首が痛い患者さんで下痢に効くツボがやたらいい反応してるみたいな。
そのツボで手首が治ればいいんですが、手首そのままなのにお腹の調子は整えておきましたからね、では患者さんからしたら「は?」だと思うわけです。
ちょっと話がずれた気もしますが、なので運動学や機能解剖学で言う動きのルール的なものは僕は情報の1つとして背景の方に置いて現象を観察するようにしています。
結論としては、いい動きと悪い動きは分かりません。
分からないけどその人の目的に照らして使ってない動きのリソースは分かるので、それを使ってみるという実験の提案はできます、という感じ。
1人でできる?アレクサンダー・テクニーク
最後に1人でできるアレクサンダー・テクニークを紹介しました。
頭の上に両手を組んで置いて、下方向にぎゅっと圧をかけます。
置いてた手をいきなりパッと離します。
するとほんの少しですが頭が上方向にぴょんと上がります。
人により真上に行く人、前上に行く人、後ろ上に行く人などがいます。
その時頭がぴょんと上がった方向を覚えておいて、そっち方向に頭が行き続けると考えながらやりたい動作をやります。
これがもっとも素朴なアレクサンダーの使い方です。
岡本さんの場合、後ろ上方向だったのでそっちに頭が行き続けると考えながらギターを弾いてもらいました。
「なんか弾きやすい気がします。」
言わせた感なくもないですが、うまく行ったようでした(笑)
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師