筋肉と皮膚がずれれば肩こりは治る?
こんにちは!ハリ弟子です。
皮膚運動学という分野があります。
理学療法の分野で、関節の可動域を向上するために皮膚の伸縮や移動に着目したのがその始まりのようで、比較的新しい観点です。
どういうことかと言うと、膝を曲げる時に太ももの前側の皮膚は膝方向にずれていき、後ろ側(裏側)の皮膚はお尻方向にずれます。
皮膚が張っていて、このずれが起こらないと動きが悪くなり、膝の可動域に制限がかかります。
仮に筋肉や骨に問題がないとしても、表面の皮膚が突っ張っていたら動きが悪くなります。
なので、筋骨格系にばかり気を取られがちな運動学に、皮膚の可動性の視点を取り入れて、実際に治療にも役立てていこうという発想です。
人には誰しも、自分の体はこうであるという「想定」が脳の中にあります。
極端な例でいえば、腕を切断した人の脳の中には、まだ切断した腕があるという「想定」が残っていて、存在しない腕の痛みを感じることもあります。
そこまで極端でなくとも、この「想定」は自分の背の高さ、手足の長さ、体の幅などあらゆることを決めていて、脳が体に指令を出す時には「想定」に合う動きをするように筋肉に命じます。
実際の体と「想定」が合っていればいいですが、普通はずれています。
ずれが大きいと、体の動かし方が非効率的だったり無理があったりして、疲れやすく痛みを生じたりします。
この「想定」のことをボディ・イメージと言い、ボディ・イメージを現実の体のデザインに近づけるのがアレクサンダー・テクニーク界隈で言うボディ・マッピングと理解しています。
さて、動きとボディ・イメージの関連では、ハリ弟子は今まで皮膚については想定外でした。
皮膚運動学を知ってからあらためて考えると、もしかしたら、皮膚もボディ・イメージに従って動いているのかも?という気になっています。
1つ実験をしてみます。
左手を右肩に置いて鎖骨や肩甲骨の感触を感じます。
その状態で右腕を前に上げますが、1回目は左手の手の平に密着している皮膚がその場にい続けて良い(要は左手を空間上でその場に静止させておき、鎖骨、肩甲骨が左手の下ですべっていく)と考えて上げます。
2回目は、左手の手の平に密着している皮膚をその下に感じる鎖骨や肩甲骨と一緒に動かす(要は左手を鎖骨、肩甲骨に合わせて動かす)と考えて上げます。
1回目は筋骨格に対して皮膚がずれます。
2回目は筋骨格と一緒に皮膚もついていきます。
どちらの方が動きやすいでしょうか?
突っ張り感などはどのように変わるでしょうか?
明らかに1回目の方がスムーズで、突っ張りも少ないと思います。
ボディ・イメージを変えることで、皮膚自体が自律的に2つの状態の間を行き来しているのか、それともボディ・イメージを忠実に再現するような体の動かし方を脳が筋骨格系に命じていて、結果として皮膚が変わるのか、それは分かりません。
動物ではどうなのか?
模様があるから分かりやすいかと思ってキリンを観察しましたが、分かったような分からないような、、
しかし、皮膚のこのような振る舞いがボディ・イメージの中に含まれていないと、いろいろな不都合が出てくることは想像できます。
例えば、ベルトの当たるところで皮膚が固定されていると考えると、腰の動きが制限されて腰痛になりやすいでしょうし、上着の肩のところで皮膚がピン止めされているようなイメージを持つとすぐ肩がこりそうな気がします。
肩こりは、肩の筋肉が張っているのが原因と考えるのが一般的ですが、こう考えると意外と皮膚が関与しているのかも知れません。
試しに、スマホでこのブログを読みながら、肩の皮膚が今より2~3割増しでたわんでいる、緩んでいる、伸びる余地がある、などと考えてみたらどんな変化があるでしょうか?
ハリ弟子は、このブログを打ちながら、肩こりが少し楽になったような気がします。
アレクサンダー・テクニークではあまり皮膚のことは言いませんが、中身の筋骨格系の動きと表面の皮膚の動きはずれていてもかまわないという発想があるといろいろ役に立つように思います。
アレクサンダーの言葉に、“You translate everything, whether physical, mental or spiritual, into muscular tension.”というのがあります。
「人は身体的であれ、精神的であれ、スピリチュアルなものであれ、あらゆるものが筋肉の緊張に表れてしまうものだ」という意味です。
これに”skin”(皮膚)を加えてみても面白いかも知れません。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師