ある新興宗教と鍼灸の話題について
少し前に、麻原彰晃が鍼灸師だったことで一連のオウム真理教事件と鍼灸のかかわりについてSNS界隈がかまびすしくなりました。麻原彰晃が鍼灸師だったのは事実です。地下鉄サリン事件の時僕は23才でまだ鍼灸になんの関心も持っていませんでしたが(鍼灸師になろうと思ったのはその二十年後)、このことはトリビア的知識として知っていました。ただあの当時の感覚として、鍼灸師だから事件を起こしたとか、鍼灸師だから危険な思想を持ったとは考えませんでした。そしてこれが事件と鍼灸のかかわりについての世の中一般的な受け止め方だったと思います。
あのころは米国ではブランチ・ダビディアンの事件がありその後日本でも地下鉄サリン事件が起こり、一部の過激で危険な宗教家や団体をどのように取り締まるかが世界的なイシューだったように思います。キーワードは「カルト」でした。ブランチ・ダビディアンもオウムもカルト教団と呼ばれていたからです。しかし取り締まりを実行に移すには法的に「カルト」を定義しなければなりません。実際問題としてカッターナイフを持ってただけで銃刀法違反で捕まったオウム関係者もいたわけです。一般の人がカッター所持で逮捕されてたら大変ですよね。でも雰囲気的にオウムにはそれが通用していました。そのくらい警察も切羽詰まっていて、法律を限界すれすれで適用していたのでしょう。
僕はそのころ中東北アフリカの地域研究をこころざしてアラビア語の勉強を始めたばかりでした。小さなコミュニティですから「こないだ〇〇先生が政府の委員会に呼ばれた」というような話を先輩から聞くわけです。そこで「カルトの定義(案)を見せられてコメントさせられるんだけど、たとえば入信・棄教の自由って言われても、イスラームは棄教できないから自由ではない。じゃあカルトか?って言われると困るんだよな」と間接的に聞きました。そう、そもそも信者が教えを捨てることを想定している宗教などほとんどありません。イスラームに限らず。ことほどさようにカルトの定義化は難しかったと聞きます。
もう一つ特に仏教界で物議をかもしたのはヴァジラヤーナの取り扱いです。仏教の中でも密教の一部の経典の中には、殺人を肯定しているように解釈されうる文言があるそうです。ヴァジラヤーナはしかし日本語では金剛乗といってそもそも仏教一般の用語でもありました。ヴァジラヤーナ(=金剛乗)だから取り締まると言われてもそれは困るわけです。
この手の話は探せばどんな宗教にでも見つかります。たとえば、自分の心の弱い部分を悪魔に見立ててそれを滅することをうながす教えはわりとよく見られるものです。そこで悪魔を実在の人間と解釈してその人を滅する(殺す)者がいたからといって、同じ教えを持つその宗教全体が取り締まりの対象になったらあまりにも乱暴な話です。
しかし一般にはそんな機微は伝わるはずもありません。オウムとは無関係にもかかわらず普通のヨガ教室や瞑想の道場に人が集まらなくなるという風評被害が多くあったそうです。
今は僕自身が鍼灸師になりましたが、やはりあの事件は麻原彰晃の宗教家としての側面から考えるべきであって、鍼灸師としての側面から考えても無意味との考えに変わりありません。
事件から年月がたちました。麻原彰晃が鍼灸師だから事件を起こしたと言われたら素直に信じてしまう人がいてもおかしくありません。知らなければ仕方がないと思います。ただSNS等でそのようにミスリードされた人がそれを拡散することでさらなるミスリードを生むのは避けたいところです。そのためのカウンターバランスとしてこの投稿を残そうと思います。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師