検査をめぐる賛否両論
新型コロナの検査について医師、専門家とされる人たちの間でも「もっとやるべきだ」とする意見と「絞り込んでやるべきだ」とする意見が真っ向から対立している。
どう考えたらいいのか数日間もやもやしていて気づいたことがある。
両者にとっての検査の目的が違う。
絞り込み派にとっての検査の目的は一言にまとめれば確定診断。
目の前の個人が新型コロナに感染してるかどうかを明らかにすることが目的。
ところが検査には必ず誤差がつきまとう。
だから他の所見も観察した上で数を絞って検査を行うのが正解になる。
そうしないと間違って陽性判定される患者への対応で貴重な医療資源が食われてしまい医療崩壊につながる。
一方で検査増やす派の目的は社会全体での感染者数の傾向を知ること。
新型コロナは感染しても症状のない人が一定数いることが彼らの論拠になっている。
サンプルをとってそこから全体を類推する。
サンプルが小さ過ぎると特殊事例から全体を類推する間違いをおかすので、ある程度大きなサンプルが必要になる。
検査を受けた個々人が本当に感染しているかどうかはある意味どうでもよくて、的中率という数字をかけて丸めたものでも全体の傾向が分かればそれでよい。
なので検査数は増やすことが正解になる。
さもないと無症状の感染者が実際どのくらいいるのか推計もできなくて、どの程度の公衆衛生対策をやるべきか政策が立てられない。
そうこうするうちに無症状の感染者が感染を広めて結局、医療崩壊につながる。
あるいは「家にいろ」以上の政策が立てられない。
素人ながら思うのは、真の感染者選別の道具と見るか、全体傾向を知る(二次的に無症状感染者も多少は洗い出せる)ための道具と見るかで違うのではないかしら。
思うにやはり両方必要で、全体傾向を知るための検査で陽性になった個人には確定診断のためのさらなる絞り込みを行うというクッションを設けてあげれば社会全体の最適化につながるような気がする。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師