演出でぐいぐい読ませる『宇宙の音楽』
「吹奏楽の漫画なんて誰も読みたいと思ってないよ。」
作者の山本誠志さんが実際に言われたことがあるのでしょう。彼の自伝的短編『道半ばの東京。』の中で出てくる言葉です(≫ 道半ばの東京)。
この方の絵は独特の味があって初見から見やすいとは思いませんでした。が、あるシーンではっとしてそこからぐいぐいと引き込まれてしまいました。
それがこちら。
(『宇宙の音楽』第一話より)
学校中庭のテラスで宇宙零(たかおき れい)が吹くトランペットに合わせワルツを踊る、吹奏楽部部長の星野水音(ほしの みお)。パラソルの円とふわっと広がったスカートと髪が描く円、それにワルツの音楽の円が重なって度肝を抜かれました。とてもいいシーン。
ここに至る前のページはコマ割りがせせこましく説明書きもあって読むテンポが悪くなります。そこで紙をめくって最初に見るのがこのコマで、風が抜けるようなさわやかな気分になります。読者のテンポ・コントロールがさすがです。
初見ではさらっと読んでいたのでこんなパラソルがあったことに気づかず、さかのぼると16ページも前から背景にしっかり書き込まれているのですね。ご都合主義で突然パラソルを出したわけではありません。
かなり考えて描かれていることに気づき、私はこの方の演出にはまっていきました。
読み直すと、例えばこのテラスのシーンは曇天から始まって、雲の狭間から差し込む陽光が描かれ、最後は太陽が顔を出し、音楽が、意図が共鳴し2人の楽しさが汗とともにはじけます。天気の移り変わりを使った演出です。
さらにこのクライマックスからページをめくると零の喘息発作でいきなり暗転し、零の自宅にシーンを移します。紙をめくって次を見た時の読者の驚きまで計算したコマ割り、凄くないですか?
演出はその意図があっても画力がないと実現できません。確かにこの方の絵は初見から見やすいとは思いませんでしたが、絵に動きがあることは最初から感じました。動きがあるので飽きが来ません。
多分どんな視点からでも描ける力があり、また同じ視点からの絵であっても人物を動かすからだと思います。例えば第一話後半で、ベッドに腰かけた水音を正面から描いたコマが3つ散発的に出てきますが、少しずつ描き分けていて彼女の思いと時間の経過を感じられるようにしています。こういう工夫があるので物語がぐいぐい前進するし、妥協のない漫画の描き方は何度読んでも発見があり楽しめます。
妥協しないという意味では、この物語の主人公宇宙零も星野水音も妥協のない性格です。
零は喘息のために音楽を妥協したくないからトランペットの演奏をやめたし、水音は零の才能を見抜いて(性格とか難あることを度外視して)吹奏楽部の指揮を振らせようと画策します。どちらも音楽のことしか考えておらず「優しくない」けど清々しい。
私見では、高校の吹奏楽部を舞台にしながらも単なる青春ものではなく、本気の音楽をやろうとするちょっと狂った人たちの物語であるように思います。音楽に関わる人の中にときどき感じる本気ゆえの狂気。それをもっともっと見たいです。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師