わたしのミッション
楠からみなさまへ
音楽との出会いとあきらめ
音楽はもともと好きで中学校吹奏楽部でチューバを吹いていました。漠然とこれを仕事にできたらいいなあと思いましたが、そんなに甘くはないとさとされ、また家の経済事情的にも難しいと思ったのであっさりあきらめてしまいました。
心身が限界だったサラリーマン時代
高校は音楽と関係ない部活に入り、大学、大学院に学んで就職。
仕事にした国際協力はハードですがやりがいはありました。しかし現場はあくまでも海外。年をとるにつれて現場に出る機会が減り、自分がやりたいことは本当にこれでいいのだろうかと悩むようになりました。
一方でそのころには市民楽団で楽器を再開しており週末は充実して楽しかった。でも仕事に完全燃焼できない自分が趣味に打ち込むことの罪悪感で心から楽しめなくなりました。
結局、仕事も音楽も手がつかない手詰まりの状況に自分を追い込んでしまいました。体の方もおかしくなり腰痛を発症。なんとか起き上がっても朝の洗顔がやっとで仕事にも行けず情けない日々でした。軽いうつ状態だったと思います。
鍼でも受けてみたら?
妻から鍼灸をすすめられたのはそんなとき。
それは今まで体験したことのない感覚でした。覚えているのは鍼をうけて家に帰る道すがら、首や肩の存在が感じられないくらい軽く、腰もすっかり良くなっていたこと。
それが転機になりました。
鍼灸師の仕事ぶりを見て自分も直接人の役に立てる仕事をしたいことに気づいたのです。
そしてまっさきに思ったのは「これを仕事にできたら、、」と最初に思っていた音楽家のこと。今さら自分が音楽家にはなれません。でも鍼灸なら音楽家の役に立つことができる。
アレクサンダー・テクニークと鍼灸へ
思い立ったはいいが鍼灸師は国家資格です。専門学校(3年)に行かないと国家試験も受けられません。そして学校に入れるのは4月。まだ時間がありました。
仕事をやめるまでの1年近く、音楽家の役に立てるなにか他のものはないか、本当に鍼灸でいいのか調べました。鍼灸が良いというのも自分の体験からくる直感に過ぎませんでしたから。
そのなかでフォーカル・ディストニアという難しい疾患があることも知りました。そして海外ではアレクサンダー・テクニークで克服した例があることも本で読み心ひかれていきました。
最終的に、音楽家の高度な技術を回復するには治療とリハビリの両方が必要とかんがえ、鍼灸とアレクサンダー・テクニークを学ぶと決めて仕事をやめました。
音楽家のクラスメートとの学び
仕事をやめてから鍼灸とアレクサンダー・テクニークのダブルスクールを始めました。
アレクサンダー・テクニークはBody Chanceというスクールにできたばかりの音楽家専門コース(当時)に入学。そこはプロ奏者、音大生、アマチュアとさまざまな人が集まっていました。共通点は音楽をしていること。
来る日も来る日も先生のレッスンを観察しました(ときには自分がレッスンを受けて)。フォーカル・ディストニアにかかっている、あるいは病名はついてないけど舌や指を思いどおりに動かせず悩んでいるクラスメートもいて、実際どんな感覚なのか聞かせてもらいました。彼らから教えてもらったこと、レッスンで観察したことは今でも財産になっています。
音楽家のまち、江古田で開業
おかげさまで資格も取れ、住んでいた江古田で開業。鍼灸では体の状態を一瞬で変化させる技術を身につけ、アレクサンダー・テクニークでは動きをみる観察眼と提案力を手に入れました。
音楽家はまじめな人が多いです。先生の言うことを忠実にやろうと努力して、なのにうまくいかずにしかられて、どん底まで悩みます。
うまくいかないことがその結果のみを理由として努力不足と言われ、本人もそう思ってしまうことが実に多い。
でも本当にそうなのか?
一見むずかしく思える不調が1本の鍼で、あるいはわずかなやり方の修正で改善するところを僕は何度も見てきました。
どん底まで悩んだからこそ語れる音楽がきっとあります。力になりますので、あなたの不安や困りごとをご相談ください。改善してふたたび演奏できる喜びを分かち合いましょう。
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2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師