危険手当で思うこと
医師の労働組合や看護師の協会が厚労省に危険手当を要請したとの記事を目にしました。
調べてみると放射線科、精神科、手術室勤務等すでに危険手当の対象となる業務もあるようです。
ただし病院には公立もあれば民間もあるしで国家公務員のように一律同じ給与表ではないと思われ、実際には現場によりさまざまなのだと思います(このあたりはもっと詳しい人がいるはず)。
「危険手当」という言葉で以前(8年前まで)働いていた国際協力業界での議論を思い出しました。
今でも変わってないと思いますが、日本の公的な国際協力には危険手当がありません。
一応「危険」なところでの仕事はないという建前、整理なんですね。
でも実際には紛争地や内戦の終結直後など「危険」なところでの仕事はありました。
そういうところへの職員の派遣はどうやっていたかというと、かつては一時的に身分を変えることで対応していました。
しかしそういう事案が増えてくると、いちいち身分を変えてたら埒が明きません。
そういう流れで「危険手当」の創設が議論されたことがあります。
僕が入職して2、3年たった頃です。
「危険手当」があれば現にやっている「危険」なところでの業務がよりスムーズにできるようになります。
一方で「危険手当」を認めてしまうと「危険」なところでの仕事はないという建前が崩れます。
消防士や警察官はその職務の性質上、殉職がありうるものとして任に就くわけです。
これを国際協力の世界に入れてしまうと、銃弾が飛び交うところへの出張命令も拒否できなくなるとの危惧がありました。
結局「危険手当」としての制度化は見送られ、なにかあった場合の「見舞金」のような形で決着したと記憶しています。
そういうところへ出張しても給料は変わりませんが、死んだり障害を負ったりした場合にはお金払いますということですね。
併せて、行くかどうかは本人の自己決定権が認められ拒否する可能性が残されました。
新型コロナでは通常の業務の中でいつの間にかウイルスが入り込んでいて、なし崩し的にリスクの高い業務に就かされてしまっている方が大勢います。
意思確認のいとまなどないでしょう。
リスクを覚悟で立ち向かってくれている医師や看護師へ「危険手当」という形で報いるのは必要なことだと思います。
一方でこれが現実を正当化する方向にはたらき、拒否できないような圧力を生むとしたら違うと思います。
こんな事態であっても、医師や看護師であっても、そこから去る権利があるべきだと思うからです。
どちらの判断も尊重されなければならない。
危険手当の記事から、あらためてそんなことを肝に銘じようと思いました。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師