相手の欲しいものを体に翻訳するスキル
アレクサンダー・テクニークのたとえ話。
「完璧な体の使い方をしてもボールのないところでスイングしたら打てるわけないよね」
同じ話が鍼灸でも当てはまると思うわけです。
「舌の色とか脈の形を完璧に整えても手首の痛みと無関係なツボなら痛み取れるわけないよね」
病院はやや世界が異なります。
医師の側の論理をもっと押し通すことが可能です。
なぜなら病院では患者さんが自覚できないことも検査で把握して、医師が主導して方針を出すからです。
そうであるべき理由がそこにはあります。
検査の数値が生命の危機を示していたら、患者さんに自覚症状がまったくなくても治療するのが倫理的に正しいからです。
もちろん患者さんには拒否する権利がありますが、医師の専門性をくつがえすほどに論理的裏付けを持って断るのは、まあ普通は難しいわけですね。
鍼灸師はこの点でとても微妙な立ち位置です。
我々は古典や現代医学の解剖生理学に基づいてどういうのが「健康」なのか一応学校で学びます。
ですが患者さんの意向を無視してまでそれを押し付けると仕事を失います(笑)
患者さんの意向に沿いつつ専門性を持ってそれに応えなければなりません。
そのためには患者さんの訴えを何らかの所見に翻訳するスキルが必要です。
手首が痛いと訴える人はどうなるとその痛みが解消するのか?
気が直接見えると言う人は気でも良いでしょう。
ただし漠然と気が整うのではなく、手首が痛くない時の気でないとダメです。
さらにそういう気にするためのツボを知っている必要があります。
脈で分かると言う人はそれでもOKです。
ただしあくまでも手首が痛くない時の脈が分からないとダメです。
さらにそういう脈にするためのツボを知らないといけません。
僕の場合は整動鍼のやり方を使っているので身体所見と動きを頼りにします。
整動鍼のツボはどこに鍼をするとどこがどう変わるか1つ1つ検証されています。
いわば最小単位の法則が明らかになっているわけです。
この法則を組み合わせて患者さんの痛みを体の状態に翻訳します。
僕にとっては気とか舌とか脈よりも翻訳しやすいです。
古典が書かれた時代、もしかしたら鍼医の立場は現代の医師に近いものだったのかも知れません。
天の気と地の気を患者さんの気にうまく統合して病まざる状態へ導く特殊技能者集団。
特殊過ぎて一般の人は言うこと聞く他ないような、、、
ですが現代の鍼灸師は患者さんの訴えを身体所見に翻訳して、それにツボで答えることが求められます。
鍼灸師に必要な専門性ってそういうことかなと最近思います。
「完璧な体の使い方をしてもボールのないところでスイングしたら打てるわけないよね。」
世の中にはこんな人もいてびっくり・・・
https://twitter.com/hgomez27/status/1202352541176147970
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師