人生は持久戦
演奏家の不調はちょっとしたきっかけですぐに直る人がいる一方、長期化する人もいます。
「これはおかしい」と自分1人での解決が難しいことを悟り、病院や鍼灸、トレーナーやアレクサンダー・テクニークなど、良さそうなことを片っ端から試す。
良くなることを期待して(実際すぐに良くなるケースもあります)とにかく走り始めますが、1か月、2か月、半年、あるいは1年となると、心のガソリンがだんだんつらくなってきます。
生活が安定していればまだしもですが、家賃を払うため、生活費を稼ぐための仕事を優先せざるを得ない時もあります。
実家の場合でも家族の目が気になったりして、それが必ずしも安心できる場所でなかったりもします。
また、プロ演奏家の場合には自分が思っているクオリティに照らして許せず、良くなってきても復帰してよいかどうかで悩みます。
こういう時に僕から言える言葉はあまりありません。
実は僕もプロの演奏家になりたかった時期があります。
吹奏楽部でチューバを吹いていた中3の頃ですが、音大進学を考えて親に相談し「家計がつぶれるからやめてくれ」という意味のことを言われてあきらめました。
そのくらいであきらめたので、その程度と言えばその程度です。
とにかくお金をかけられなかったので、1番学費の安い大学の夜間部に入ってバイトしながら卒業し、物価の安いエジプトで語学を身につけ、帰国してから国立大学の院に入り直しました。
大学院もバイトしながら卒業し、給料取りの仕事についてからようやく経済的になんとかなった感じで、お金についてはいつも悩まされてきました(あ、これは今もか 笑)。
学費減免制度とか奨学金とか、情報通のまわりの友人に助けられたおかげでかろうじてつながっていたようなものです。
ただ、それだけ回り道をしても結局やりたかったことに戻ってきて、今は音楽家のサポートをしています。
僕がいま音楽家向けの鍼灸とアレクサンダー・テクニークを仕事にしているのは、中3の時に演奏家になりたいと思った「その程度」の気持ちからずっとつながっているからです。
その間30年、人生は意外と長いものです。
今、心のガソリンが切れかかっている人がいたとしたら、どんな手を使ってでも生き延びることを優先していただきたい。
演奏家になりたいと思ったその気持ちは小さくても形を変えても残り続けます。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師