鼻抜けを考える(2021年5月版)
音楽家専門の鍼灸をしていると一般的鍼灸院ではまず出会わない症状をみることがあります。その一つが管楽器奏者の鼻抜けです。
鼻抜けは管楽器を吹く時に鼻から息が出てしまう現象です。なぜ起こるか?簡単に言えば軟口蓋の閉鎖が不十分なために起こります。
ただしこの軟口蓋の閉鎖が不十分となる原因はいろいろです。
よく言われるのは口蓋形成不全。生まれつきの上あごの奇形です。ただし医学的に問題になるレベルであれば早期に手術で治すのが普通です。口唇裂と合併して起こることも多いので念のため口唇裂の手術歴も確認し、発音もチェックしますが今までのところ該当する方が来たことはありません。
そもそも言葉の発音と管楽器演奏では必要とされる軟口蓋の閉鎖度合いがだいぶ違います。会話時と管楽器演奏時の口腔内圧を測定したある研究によれば20倍以上もの開きがあるそうです(会話時6mmHg、管楽器演奏時130mmHg)。そのためほとんどの人は言葉の発音では問題が表れません。僕も以前は発音チェックの時間をとっていましたが今は問診で聞き取りにくくなければスルーです。口蓋形成不全の治療歴も念のため聞くにとどめています。
医学では嚥下・咀嚼や言葉の発音に支障があれば問題としますから、管楽器奏者の鼻抜けは医学的には問題とならないレベルの微妙な軟口蓋の問題になります。おそらくですが管楽器演奏にものすごく適した軟口蓋から不利な軟口蓋までさまざまあって、ここにもまた生まれつきがあるような気がします。また鼻抜けする人の中にも常に抜けるわけではなく好不調のある人もいます。
不利だけど吹けている、常に抜けるわけではなく好調な時もある、というところに奏法が入り込む余地があるように思います。
鼻抜けになる人の多くに共通するのは抜ける/抜けそうになる時に喉の奥に「グッ」と詰まるような感じ(痛みを感じる方もいます)があることです。
この「グッ」とくる場所には細かい筋肉が入り組んでいますが中でも口蓋舌筋と口蓋咽頭筋という筋肉に注目しています。というのもこの二つの筋肉は軟口蓋を下げる作用があるからです。これらはそれぞれ舌や咽頭を上にあげる作用もありますが舌や咽頭が動かない場合は軟口蓋の方を下げるはたらきをします。位置的にも「グッ」という感覚のするあたりと重なります。
仮になんらかの関係があるとしたら、これらの筋肉のもう一つの作用である舌や咽頭の挙上にヒントがありそうです。奏法的に舌や喉の奥を上げた方がいいのか、あるいは他のやり方をした方が良いことを代償的にこれらの動きでやろうとしてしまっているのか。まだ答えがあるわけではありませんが意識して観察しているところです。
鼻抜けの方向けの鍼灸では、喉の奥の詰まりや緊張をゆるめることを考えます。ただし喉にはまったく鍼をしません。首まわりの主要な筋肉はどのツボでどこがゆるむか分かっています。喉に直接鍼をするより手足のツボを使った方がずっと効果があります。加えて姿勢や動作の癖からひもといて体全体の張力バランスがとれるよう人それぞれに合わせて施術をします。
先日も一回の施術でサックス奏者の鼻抜けがかなり改善しました。もとより鼻抜けは一度の鍼でどうにかなるものではありませんが、ご本人が試行錯誤してきた経験値とうまく合致して奏法的なブレイクスルーが得られることもあります。この時は僕の仮説の方も一段アップデートすることができました。また機会があれば詳しく書きたいとと思います。
みなさまのおかげで音楽家向けの鍼灸は進化しています。
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2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師