弦楽器の「腕の重さ」を考える(その1)
こんにちは!ハリ弟子です。
昨日はコントラバスの方がアレクサンダー・テクニークのお試し個人レッスンにいらっしゃいました。
無料でのお試し個人レッスンは今月中で終了ですので、気になっている方はお早めにご連絡くださいね。
来年から始まる月1開催のグループ・レッスンもまだ空きがあります。
まずは今月中の無料お試し個人レッスンで感触をつかんでから考えるのもOKなので、機会は有効に使ってください。
さて、コントラバスに限らず弦楽器でよく言われる「腕の重さを弦にかける」という言葉。
この方はこれがよく分からない、というご相談でした。
ハリ弟子もコントラバスの先生から同じことを今も言われるのでよく分かっていません、すいません。。
これでは話が終わってしまうので、ちょっと深く考えてみました。
A まず、腕の重さを弦にかけて弾く状態というのは、出来たか出来なかったのか2つに1つしかないようなものと考えるか?
B それとも、少し出来た、まあまあ出来た、すごく出来た、というように出来た度合いに段階があるものと考えるか。
言う側と言われる側の理解がこの2つのどちらなのかで、組み合わせとしては4種類できあがります。
先生と生徒両方ともA、両方ともB、先生がAで生徒がB、先生がBで生徒がAの4つです。
先生と生徒両方ともAの場合は完璧に条件を整えて成功をねらってやってみるような、一発必中のレッスンになるでしょう。
そして一度出来たら、次はその成功率を上げるのが課題になると思います。
両方ともBの場合は少しずつ改善して時間をかけて上達していく必要があります。
出来る出来ないの二者択一ではなく技の練度を上げるのが課題なので、正しい方向性で練習を続ける必要があり、努力の方向を軌道修正するのがレッスンになるのではないか。
他方、先生がAで生徒がBだと、生徒が少しできるようになったと思っても先生の評価はゼロです。
また、先生がBで生徒がAだと、先生がずいぶん良くなったと思っても生徒は全然できてないと言い張るでしょう。
こうして気づかないうちに言葉の神秘性、迷宮度合いが増していくなんてことはないでしょうか。
腕の重さという言葉で実際には何を意味しているのかハリ弟子は知らないので、上のA、Bどちらが正解かは分かりません。
ただ、指導する側、される側でどのようなものと認識しているかで取り組み方も変わってくるでしょうし、認識にずれがある場合にはコミュニケーションのメタな構造が違ってしまい、それによってレッスンを難しく感じる度合いが不必要に高くなることがあるかも知れません。
腕の重さについては考えるといろんなイシューがあって書き出すと止まらないので今日はこのくらいにします。
またこの続きを書きます。
楽しみにしていてください。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師