動きが見える・見えない問題
ネイサン・レンツの『人体、なんでそうなった?』(久保美代子訳、化学同人出版)を面白く読みました。
中でも面白いと思ったのは人間の視覚について。
人間の視覚は1秒間に15枚のスナップショットが目から脳に送られ、脳はそれをつなぎ合わせてスムーズな動画を作り出す仕組みだそうです。
「僕たちは実際には動きを見ていない。僕たちは動きを推理しているのだ。」(前掲書)
これはアレクサンダー・テクニーク教師としては気にならずにはいられません。
なぜなら我々は動きを見てアドバイスする商売で、教師養成課程でよくある不満は「動きが見えない」ということだからです。
しかし現実に見えてるのが1秒間に15枚のスナップショットだとしたら動きは見えなくて当たり前。
「動きが見えない」という不平は事実そのままに言い表していたのかも知れません。
それでは「動きが見える」人は何を見ているのでしょう?
視覚についての自己観察を極めているので1秒間に15枚の静止画をありのまま見ているのか?
(あまりありそうにない)
それとも静止画と静止画の間を「推理」してるけども、動きのパターンとその意味合いをつなげる解析ソフトが脳内にあるのか?
おそらくは後者でしょう。
となると解析ソフトは1人1人の脳内で開発する必要があり、それが進まないうちは見えた気になりません。
開発のためにはベースラインと介入後の変化についてそれなりの量の記憶が必要です。
そのためには自分がレッスンをしたり他人がレッスンするところを多く見なければならず、またどの位置から見るかもけっこう重要だったりします。
真正面にいたら前後の動きは分かりづらいし、真横から左右の動きを見ようとしても難しいですから。
ある程度の量の情報が蓄積されたところで「あー、これってこういうことなのか」と自分で腑に落ちたら解析ソフトができたってことです。
ところでアレクサンダー・テクニークでは予断を持たずに見るように教えられます。
しかしそもそも人間の視覚が動きを推理してるとしたらこれは厳密には理想論に過ぎません。
結局、予断の入った見方をするのはしょうがないとして、その見方をすることでメリットがあるかどうかだと思うんですね。
そういうわけで解析ソフトは永久に開発が終わりません。
少しでもマシな見方があればどんどんアップデートします。
メリットで検証され鍛えられた解析ソフトは偏りなくありのままにものを見ていると他の人の目には映るかも知れません。
でも本人にとってはそんな気はしないのだと思います。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師