期待されている(と自分が感じている)役割を演じることの愚
英国のアレクサンダー・テクニーク教師、ピーター・ノブズの本 “Mindfulness in 3D” の翻訳を進めています。
ちょっと面白いと思ったところをつまみ食い。
ピーターはアレクサンダー・テクニークに出会うまでは自分の体について常に気づいていて、学び始めてから体に気づかない術を知ったと書いています。
ふつう逆ですね。
ふつうはアレクサンダー・テクニークを習い始めてから「気づき」とか「アウェアネス」とか言い始めます。
以前のピーターが体について気づいていたというのは、かっこ良く見えるように歩き方を変えてみたり、姿勢を工夫したりというようなことでした。
僕がアレクサンダーを学び始めた時も、アレクサンダー的に良く見えるように歩き方を変えてみたり、姿勢を工夫したりしてました。
一緒じゃないですか!
「かっこ良く見えるように」も「アレクサンダー的に良く見えるように」も。
ピーターはあっさりとそこを見抜いています。
これは「レッスン」という形態で、「先生と生徒」という立場設定で、「アレクサンダー・テクニークを学ぶ」という目的でいたら、必ず落っこちる陥凹ではないでしょうか?
「ワーク」という言葉にしても、先生から生徒へ「働きかける」とか、先生が手を使って生徒を動かすことで出来上がった「作品」のニュアンスがありますし(実際にアレクサンダー本人が “manipulate” と書いています)。
これでは信じる対象を変えただけで、他人の目を基準に自分のふるまいを決めている点は変わりません。
アレクサンダー・テクニークのうたい文句で「ありのままのその人でいられるように」みたいのがあるじゃないですか。
これってレッスンで人から教えられたり、手でマニピュレートされてやるもんですかね。
期待されている(と自分が感じている)役割を演じることは、もっともやらんでもいいことなのに?
ピーターはちょっと意地悪くこう書いています。
「ネコってそんなこと気にしないし、でも素晴らしい動きするよね。」
ようやく3章まで訳し終わりました。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師