良し悪しの基準を持っていますか?
僕は楽器の方とアレクサンダー・テクニークのレッスンをする時、一番好きな演奏家をお聞きするようにしています。
なぜか?
アレクサンダー・テクニークを使った演奏とそうでない演奏では何かが変わりますが、その変化は本人にとって「意味」のあるものとは限りません。
野球で言えばコーチに教えられた完璧なフォームでバットを振っても、ボールのないところを振っていたら意味がない、そういうことがあり得るからです。
レッスンを意味あるものにするためにはその人にとっての「ボール」があるところでアレクサンダー・テクニークを使う必要があります。
ところが音楽の場合は流派・師匠筋、スタイル、分野、などに応じていろんなボールがあるんですね。
このボールを共有できるとレッスンによる変化の良し悪しを(比較的)判断しやすくなります。
良し悪しが分かると今よりどっちの方向に行きたいかが分かり、行きたい方向が分かるとレッスンの目指す方向もはっきりします。
目指す方向が分からないとどういうレッスンになるか?
アレクサンダー・テクニークを使いながらの体の使い方や動きの可能性はそれこそごまんとあります。
ぶっちゃけた話、アレクサンダー・テクニークは何にでも使えます。
でもこれが最大の弱点でもあって、アレクサンダー・テクニーク的には良くなるけど、音楽的には良かったか悪かったか分からないような変化もごまんとあるわけですね。
つまり本人にとって「意味」のない方向にレッスンすることもできてしまうのです。
良し悪しの基準を本人が持っていないあるいはあいまいな場合には、僕もあえて方向を定めずにレッスンすることがあります。
純粋に動きの探求として、やってみたこととその結果の違いを比較していくのです。
これはこれで本人が思いもしない角度からひらめきが来ることもあります。
でも気をつけないとレッスンの目的が変化そのものになってしまい、どう変わりたいか問うことを忘れかねません。
音楽家でかつアレクサンダー・テクニークも教える先生なら、音楽としての良し悪しの価値基準自体もあわせて教えられるでしょう。
ただしそれでも、先に述べたように音楽には流派・師匠筋、スタイル、分野、などに応じてさまざまな良し悪しの基準があります。
ある時期、師匠のそれに全面的に寄せて学んでみるのもアリですが、ずっと音楽していると自分の基準と師匠の基準で一致しない部分が出てくるし、それが普通です。
一致しないことがダメなのではなく、お互いに敬意を持ってコミュニケーションを取れば乗り越えられる不一致です(大人になって習う人でレッスン迷子になる場合はここでつまづいてることがあるかも知れませんね)。
増してや僕の場合は音楽としての良し悪しの価値基準を教えることはできないので、たずねてそれを知る必要があります。
生徒さんの音楽を知り、同じ方向を見て、そこへ向かうためにアレクサンダー・テクニークを使うこと。
これが僕にできるレッスンです。
なので僕とのレッスンでは好きな音楽家とか、〇〇のコンチェルトなら一番好きな音源はどれか、とか根掘り葉掘り聞きます。
いらっしゃる方は一番好きな音楽を心に描きながら来てください。
楽しいですよ(笑)
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師