問いの立て方
僕はアレクサンダー・テクニークの学校に5年も通ってこれを教える資格を取ったのですが、学校の先生の言葉でなかなか違和感のぬぐえない言い回しがありまして、それがこれ。
“Do you believe Alexander Technique ?”
(アレクサンダー・テクニークを信じていますか?)
創始者のF.M.アレクサンダーさんが一番初めに気づいたのは、これ(初期のアレクサンダー・テクニーク)をやると声が出しやすくて喉の調子もいいということでした。
– AをやってみたらBという望ましい結果が出た。
– いいらしいのでもっとAをやってみよう、他の動作でもやってみたらどうだろう。
そもそもアレクサンダー・テクニークとは信じる信じないの問題ではなくて、やってみたらいいことがあったので次もやってみたらどうだろうと使ってみるものだと思うのです。
その意味で毎回毎回が実験であり検証です。
ただし永久に証明ができない類の実験ではあります。
なぜなら同一人物で完全に同じ条件で同時にアレクサンダー・テクニークありとなしで同じことをやって比較できないからです。
しかしAをやっていたつもりが実はしてなかった、というのはよくあります。
Aをやってどんな結果になるか実験するならまずAをやる必要があるのに、それがなかなか難しい。
そのくらい元々の癖が顔を出しやすいということですが、癖を回避して実験を遂行するためにアレクサンダー・テクニークを信じてやるというなら方便としては理解できます。
でもこの言葉を変に真に受けてしまうと、アレクサンダー・テクニークを信じていればいつかいいことがあるはず!という不思議な話になってしまいます。
永久に証明されないなら何でやるの?という疑問が生まれるかも知れません。
これもちょっと問いの立て方が違っていて、例えば鍼灸師なら、あるツボが効くことが分かっていて何回も治った経験があったとしても、その経験に頼って鍼をしません。
指頭で触れて確かのこの位置でいいと確信を持って効かせるつもりでそこに鍼を打ちます。
これすべて丸ごとで実験と検証なのです。
仮に1万回効いた経験があったとしても、1万1回目はまたさらから始めて実験と検証をします。
スポーツでも楽器演奏でも、ライブで何か成功させる技術とはこういうものではないでしょうか。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師