書き変えられたプライマリー・コントロール
今日も少々マニアックなネタで行きます。
アレクサンダー・テクニークを本で読んだ人が必ず目にするキラーワード、プライマリー・コントロール。
創始者のF.M.アレクサンダーが書いた本を読んでみると、どうもこれについての説明が書き変えられた形跡があります。
うちにある彼の著作”The Use of the Self”(自己の使い方)にはこうあります。
As is shewn in by what follows, this proved to be the primary control of my use in all my activities.
このあとに続ける話で示すように、これがあらゆる動きにおける私の使い方のプライマリー・コントロールであることが明らかになりました。
「これが ~ プライマリー・コントロールである」と言ってます。
問題はこれがなにかです。
だいたいは前に書いた文章を受けているのが普通なので、直前の段落を見てみます。
長々と書かれてますが、普通に読んだら最後の結論めいた部分をこれだと思うところです。
After further experimentation I found at last that in order to maintain a lengthening of the stature it was necessary that my head should tend to go upwards, not downwards, when I put it forward; in short, that to lengthen I must put my head forward and up.
さらなる実験の後、最終的に私はこうだと思った。背が長いままでいるようにするためには頭を前に行かせる時に同時に上方向に(下ではなく)行かせる必要がある;要するに長さをかせごうとしたら頭を前に上にしなければならない。
この読み方だとこうなります。
「頭を前に上にすることが ~ プライマリー・コントロールである」
良さそうに見えます。
しかし、別の版では”As is shewn”に始まる1文がこう書き変えられていました。
The experiences which followed my awareness of this were forerunners of a recognition of that relativity in the use of the head, neck, and other parts which proved to be a primary control of the general use of the self.
このことに気づいてから体験したことは、頭と首と他の部分の使い方の関係性を認識する前触れとなりました。頭と首と他の部分の使い方の関係性は自己の使い方全般におけるプライマリー・コントロールであることが明らかになりました。
「頭を前に上にすること」が「頭と首と他の部分の使い方の関係性」になってますね。
実は先の”This led me”に始まる段落の手前にはこんな文章があるのです。
This new piece of evidence suggested that the functioning of the organs of speech was influenced by my manner of using the whole torso, and that the pulling of the head back and down was not, as I had presumed, merely a misuse of the specific parts concerned, but one that was inseparably bound up with a misuse of other mechanisms which involved the act of shortening the stature. If this were so, it would clearly be useless to expect such improvement as I needed from merely preventing the wrong use of the head and neck. I realized that I must also prevent those other associated wrong uses which brought about the shortening of the stature.
新たなこの証拠は発声器官の機能は私の胴体全体の使い方に影響されることを示唆していました。また、頭を後ろに下に引くこと(私はこれが問題だと思っていたのですが)は、実は単に特定の問題個所を間違って使っているということではなく、背を縮める動きを引き起こすような他の仕組の誤用と密接につながっていることも、この新たな証拠は示唆していました。もしそうなら、単に頭と首の間違った使い方を予防するだけでは私が必要とするような改善は期待しても無駄というのは明らかです。私は背を縮めるような間違った使い方につながる他のことも予防する必要があることに気づきました。
F.M.アレクサンダーはこういう前提でプライマリー・コントロールについて書いていたわけです。
なので「頭を前に上にすることが ~ プライマリー・コントロールである」とは考えていなかったのでしょう。
にも関わらず、おそらく当時も誤解する人が多かったので後で書き直したというのが僕の推測です。
昨日ご紹介した”The Universal Constant in Living”の表現をもう1度見てみます。
この本は”The Use of the Self”のあとで書かれているので、当然その反省を踏まえているはず。
- a certain use of the head in relation to the neck, and of the head and neck in relation to the torso and the other parts of the organism
- the relative position of the head to the neck, and of the head, neck, and torso to the limbs
- the relativity of the head to the neck, and the head and neck to the torso and limbs
- the head in relation to the neck, and of the head and neck in relation to the torso
- a particular relativity of the head to the neck and the head and neck to the other parts of the organism
頭と首以外の体の部分(胴体とか手足とか)を執拗なまでにくどくどと言い直している、その思いが伝わってくるようです。
また共通のキーワードとして“in relation”とか“relative position”とか“relativity”といった言葉が使われていることにも気づきます。
部分と部分それぞれの相関性といいますか、相対的位置関係とか相対的な動きの方向性とか、そんなようなものを彼は見ていたのではないでしょうか。
今なら全体性って一言で言っちゃうあれです。
3次元の話ですもん。
そりゃ文章では伝えるの難しいですよね。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師