1906年のウィーン音楽院にデルサルトの教授がいた
アレクサンダー・テクニークを始めたF.M.アレクサンダーという人は若い頃、デルサルト教師を標ぼうしていた時期がありました。
デルサルトはF.M.アレクサンダーよりも前の世代の人でパリ音楽院出身のテノール歌手です。
彼は音楽院時代の教育のために喉をいためて声楽家生命を危うくしました。
この体験をバネに独自の方法論、デルサルト・システムを構築します。
システムは当時の音楽家、ダンサーたち(今で言うパフォーミング・アーツ全般)の間で大いにひろまり、多くの学校で教えられたといいます。
デルサルト自身は声楽家(テノール)でしたが彼のシステムは舞台芸術全般に応用可能でした。
システムは人体の自然な動きの観察をベースに考えられたからです。
人の体の動き全般を見ることができて、あらゆる種類の楽器からダンスのような身体表現までカバーするメソードがアレクサンダー・テクニーク以前にすでにあったのですね。
それもかなり広まっていたとは。
どのくらい広まっていたかというと、1906年頃のウィーン音楽院にもデルサルト・システムの教授がいた記録があるそうです。
海を越えたアメリカでも、F.M.アレクサンダーの故郷タスマニアでもデルサルトは教えられていました。
どうも19世紀末の音楽・舞踏系専門教育には体の使い方を教える伝統があったと言えそうです。
その後2つの世界大戦があり、またデルサルト・システムの教える内容が陳腐化したりして廃れます。
かなり長い間、音大は音楽だけ教える体制が続き、デルサルトのような健康的な奏法のベースとなる手法が再登場するのは、1950年代に英国王立音楽大学(Royal College of Music)がアレクサンダー・テクニーク教師としてウィルフレッド・バーロウを招き入れるまで待たねばなりませんでした。
それでもこれがかなり例外的な出来事だったことは、武蔵野音大に来ていたピアニスト、ロナルド・カヴァイエが1985年ごろに近年、英国のピアニストたちがたいへん注目している「アレキサンダー・テクニック」(ロナルド・カヴァイエ、西山 志風『日本人の音楽教育』新潮社)と話していることからうかがわれます。
音楽家の心身の健康の礎となるべきアレクサンダー・テクニークがいま広まりつつあることは、いったん消えたデルサルト・システムからの100年を越えたリバイバルなのかも知れません。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師