デルサルトってどんな人?
こんにちは!ハリ弟子です。
先日、アレクサンダー・テクニークの源流として、デルサルト・システムというものを紹介しました。
システムそのものがどんなものかはよく分かっていませんが、デルサルト自身の生涯や考えていたことは少し記録が残っていて、ネット上でアクセスできるものもあります。
参考にしたテキストは、19世紀アメリカでシステムをひろめたステビンスによる”Delsarte System of Expression”です。
この本の冒頭に、デルサルト本人の講演が収録されています。
元々は仏語の手書き草稿だったものを英訳して載せたようです。
また、フランク・ヴァイユというフランスの研究者の論文に、デルサルトの一生を記した年表がついています。
今日は、そうしたものを手がかりにシステムが作られた背景にある思想に迫りたいと思います。
デルサルトは、その才能を見出されて14歳でパリ・コンセルヴァトワールへの入学を許可されます。
しかし、在学中に喉の不調を起こし、18歳の時に学業終了を宣告され「田舎に帰って畑でも耕したらどうか」と勧められます。
その後もしばらくはいくつかの劇場で役をもらったりして、歌手として活動しようとしましたが、20歳の時に歌手をやめて、声を取り戻すための研究と教育に専念することに決めました。
1832年のことです。
それから8年以上の間、親しい友人にさえも歌って聞かせることはなかったと言います。
喉の不調の原因となったコンセルヴァトワールの教育について、デルサルトはかなり辛辣です。
(XXXII, Address of François Delsarte before the Philotechnic Society of Paris, translated from unpublished manuscripts, from Genevieve Stebbins “Delsarte System of Expression” 1885)
そこでは実際、師匠の意見が絶対だった。
そして生徒は、機械的に師匠の真似をするように責められ、課程を修了する頃には教義なき師匠の奴隷的なコピー以外のなにものでもなくなってしまう。
(抄訳:太字部分のみ)
当時の芸術家の教育は、言葉の悪い意味での徒弟制だったようです(少なくともデルサルトにとっては)。
師匠の言うことが絶対で、その指導は師匠の個人的な経験のみから引き出されており、他から検証されることもない。
そのことを、anarchyとかno principleと批判しています。
そのような教育を受けた生徒は、寝深い奴隷根性にとらわれてしまい、本来、芸術家にあってしかるべき人格やアイデアが育たないと言います。
デルサルトは、こうした体験を通じて、師匠によって相矛盾するバラバラの教育ではなく、芸術全てに通用する何らかの原理原則があってしかるべきだと考えるようになります。
(つづく)
Genevieve Stebbins “Delsarte System of Expression”
(著作権が切れているせいか、PDFで読めるようになっています)
(フランスの大学の博士論文ですが、PDFで公開されていて大変助かります)
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2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
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