接続詞の使い方(つづき)
日本手話における「だから」や「でも」などの接続詞表現について面白い話があったのでつづきを。
前回の記事(≫ 接続詞の使い方)では「だから」や「でも」という言葉を使う際に、話者が当然の常識としている情報が抜け落ちることを書きました。
患者さんや生徒さんとその常識を共有できていればよいですが、できていないと我々は相手の意図を見失います。
相手をていねいに理解するためには話されていない情報をくみ取らなければなりません。
また逆に自分が話すことがうまく理解されないと感じたとき、共有されていない常識をもとに情報をはしょっていないか反芻する必要があります。
ではなにが話されていないのか?
そのヒントがこの本にありました。
木村晴美 著『日本手話と日本語対応手話(手指日本語)』(生活書院)
音声の日本語で「北海道なのに暑い」というところを日本手話で話すとこうなるそうです。
北海道 涼しい いい 暑い
直訳的な表現なので伝わりづらいかも知れません。
この「いい」は良い・悪いのいいではなく、すでに元の意味を失って文法化されているそうです。
前の文章を肯定した上で直後に正反対の言葉を導く感じで、「北海道は涼しいのが当たり前である、にも関わらず、暑い」というニュアンスでしょうか(日本手話のネイティブではないので本当のところは分かりませんが)。
興味深いのは日本手話では「涼しい」と提示してから「暑い」と言うのがより自然な表現と感じられていることです。
音声の日本語では「涼しい」が省略されています。
こういう細かい思考のプロセスというか体験の順序を明示するかどうかは言語によって違います。
以前、日本在住の留学生にモロッコ方言のアラビア語を教えてもらったとき「3つ目の信号を左」という例文を、「1つ目ノー、2つ目ノー、3つ目イエス、左に行く」(実際にはアラビア語)と言いかえられたことがあります。
この留学生の個人的な言い癖の可能性もありますが、おそらくは町で人に道を案内する状況を想像して本人にとって自然に感じられる表現に直したのでしょう。
言ってることは「3つ目の信号を左」と結局同じですが、現地に行ったら1つ目の通り、2つ目の通り、と必ず確認しながら歩くはずです。
そう考えると実際に体験するであろうプロセスに基づいていることが分かります。
音声の日本語ではそういうプロセスを省略していきなり結果を提示する傾向があり、日本手話ではその結果に至るであろう思考のプロセス、実際の体験や想定をまず提示するという違いがあるのかも知れません。
どちらがいい・悪いではなく是々非々だとは思います。
ただし一度省略するとプロセスを見い出すのは難しくなります。
「北海道なのに暑い」が相手に通じなかったとき、とっさに分かるように言いかえることができるか?
まあできるかも知れません。
では「目の症状だから肝経を使う」はどうでしょう?
ここに「だから」を使うほどの体験的根拠はあるでしょうか?
「だから」や「でも」を丸飲みして理解したつもりになっていることはないか?
ところで日本手話の文法が分かってきたのはわりと最近のことなのだそうです。
昔はジェスチャーの一種のように思われ、健聴者も聴覚障害者もそれを言語として認識していない時代が長かったといいます。
言語としての法則性に気がついて観察、整理、分析した聴覚障害者や言語学者たちの努力はとても並ではなかったでしょう。
たいへんに頭の下がる思いです。
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2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師