ツボ=体のフォーマット仮説
フロッピーディスクを覚えているでしょうか?
昔のパソコンはこれにデータを保存していました。
これ、買ってきたそのままでは使えなかったんですよ。
最初にパソコンに入れる時にフォーマットという作業が必要でした。
フォーマットが何か僕も正確には知りませんが、無地の紙に縦横の模様をあらかじめ書いておくことと教わりました。
後でデータを読み出すにはディスクのどこにデータがあるか分からないといけない。
その場所の目印として縦横の模様をあらかじめ書き込んでおく必要がある、と(専門家じゃないので正確じゃないかも知れません)。
動きを整える鍼、整動鍼を学ぶとツボはこのフォーマットみたいだと感じます。
複雑な動きを作るためには体の中に縦横(あるいは斜め)が交わる点をたくさん用意しておく必要がある、と。
もちろん筋肉の起始停止や関節が大事なのは言うまでもないですが、人間の動きは筋肉内部や軟部組織の粗密の影響も受けると考えた方が物理的な真実に近いはずです。
だとすればそれらも支点にしたり力点にしたり作用点にするなどして利用していると考えた方が合理的です。
そういう力学的関係性がツボというフォーマットをベースに機能していると考えます。
力学であれば血管とか神経とか筋肉といった解剖学的実体からはツボが見えてこないことが理解できます。
力は目に見えませんから。
とは言え整動鍼のツボは触圧覚として皮下になんらかの実体を感じ取ることができるので、なにも存在しないわけではありません。
また人によってツボの位置や作用が大幅に異なることもないので、発生学的にあらかじめ用意された生体の構造に由来すると考えられます。
生き物がやることの常としていかなる素材であれ利用可能なものはなんでも使うので、従来の解剖学ではランダムで意味のないものとして見落とされてきた組織の粗密になんらかのパターンがあるような気がします。
他方、発生であらかじめ決められているからと言って、決まった動きしかできないわけではありません。
フロッピーディスクに自由にものを書き込めるように、ツボのフォーマットもどう使うかは自由だと考えるべきです。
たとえば「左手を挙げて右脚を伸ばしましょう」と言っても人によってやることが違います。
Aのように手~足を意識するのとBのように肘~膝を意識するのでは実際には似て非なる別な動きになります(写真は同じものを使ってますが)。
でも普通はどちらも「左手を挙げて右脚を伸ばす」動きと見ます。
区別することに意味を見出さなければ、人はそれを見ても違いに気づかないからです。
スポーツのトレーナーとか、アレクサンダー・テクニークなど、動きをよく観察する人には分かってもらえると思います。
フォーマットの使い方がこの2つの違いだと考えたらいかがでしょうか。
そう考えるとフィギュアスケート、バレエ、ダンサーなどクリエイティブに動きを作る人はフォーマットをより自由に使える人だと言えます。
つまりインストール済みのものをどう使うかはわりと自由だということです。
次に制御系はどうでしょうか。
整動鍼のツボは瞬時に変化を起こすことができます。
どのくらい瞬時かは測ってないので分かりませんが、脳の処理があればあるほど変化が起こるまでに時間がかかるはずなので、予想としては物理的な力関係だけで脳の関与なく変化する部分が大きいだろう、これが真実だと思います。
でもだからと言って脳がまったく無関係ということにはなりません。
靭帯とか腱とか関節について言ってもそれは同じことで、大事なことは脳はそういう体の仕組みがあることを前提に体を制御するということです。
ということは脳の中にもツボがあることを前提とした身体制御の仕組み、ツボのフォーマットがあると考えた方が良いでしょう。
体のツボが物理フォーマットだとしたら、脳内のツボは論理フォーマットと言えないでしょうか(この比喩合ってるのか?)。
新型コロナの影響でちょっと暇になったので最近はこんな妄想をしております。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師