心と体をつなげて考えたデルサルト
こんにちは!ハリ弟子です。
今日は再び、デルサルトの話です。
前回は、デルサルトが観察を通じて経験主義的に人の動きの法則を見つけようとしたお話でした。
今日は、観察を通じてデルサルトが心と体の関係性をいかに考えて行ったかを見てみます。
デルサルトは、仲の良いいとこがいきなり訪ねてきてびっくりした時の自分自身の反応に驚きました。
嬉しいのだから相手に飛び込んでいくかと思いきや、まず驚きのあまり後ずさりするような動きを自分がしたからです。
このことから、彼は内的な心の動きは外的な動きに翻訳されると考え始めます。
そして、医学校での解剖見学で死体の親指が例外なく内転していることに気づき、逆に生きている人間では親指は外転ぎみになるのではないかと考えて、さらに観察を進めました。
あくまでも目に見える動きを観察しながら、その背後にある生命力や精神との関係性を読み解きたいというのが、デルサルトの望みでした。
もともと、芸術における表現に何らかの原理原則があってしかるべきというのが、彼の出発点です。
単なる動きの分析ではなく、観る人に訴える心や感情といった内面との関わりを想定するのは、ある意味、当たり前の思考だったかも知れません。
こうして考察を進めた結果、デルサルトはこんな考えに至ります。
それから、この体のもとに内蔵されていて、体を死なせたり活き活きとさせたりする力(les forces)があります。
さらに、体を率いる数々の力を調整し、豊かにし、指揮する能力ないしエネルギー(les puissancces)があります。
そして最後に来るのが美徳(les vertus)です。美徳を構成するものの目的は戒めることです。
このように、体は3種類の力で統率されています。
ー力(les forces)は体を動きによって支配し、
ーエネルギー(les puissancces)は体を方向性(direction)によって支配し、
ー美徳(les vertus)は体を戒め(commandement)によって支配します。
体を活動的にする力(les forces)は、すなわち生命であり、
率いるエネルギー(les puissancces)は、すなわち精神であり、
戒めを果たす美徳(les vertus)は、すなわち魂です。
日本語の当て方はもっと適切な言葉があるかも知れませんが、いずれにせよ、デルサルトは観察した事実を3つのカテゴリーに分類することで再構成し、意味づけを行いました。
なぜ3つなのかについては、カトリックの三位一体的な発想が背景になっているなどの指摘もあります(実際、デルサルトはかなり熱心なカトリック教徒だったそうです)。
目に見える体や、目には見えないけれども確認可能な感覚といった確かなものから出発して、生命、エネルギー、精神、魂といった、まったく目に見えないものにせまろうとした彼の思考の手順から、中国の易経(陰=見えないもの、陽=見えるもの)的な物の見方との関係性を指摘する論者もいるそうです。
いずれにせよ、魂まで含めた壮大な体系を想定した上で、その中に心と体の関係性を実際に観察した事実に基づいて位置づけようとしたようにうかがわれます。
これを逆転すれば、ある特定の体の動きをすることで、精神や魂、エネルギーを表現することが可能という発想に至ります。
(つづく)
この話は、フランク・ヴァイユというフランスの研究者の論文に多くを負っています。
原文に興味がありましたら、こちらへアクセスしてみてください。
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2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師