名人は膏肓を神堂の位置に取ったと聞いて
この4連休、少々時間が取れたので『鍼灸真髄』(代田文誌著、医道の日本社)を読み直していました。
この本は戦前の名人鍼灸師だった沢田健の弟子、代田文誌が先生の施術を見学して学んだことをまとめたいわば私的なメモのようなものです。
巻末の著者略歴から時系列を確認すると、鍼灸師の免許取得して翌年に初めて見学しています。
つまり2年目の鍼灸師の見学メモなのです。
その分量がすごい。
日数不明ながら第1回の見学が46ページ。
第2回は20日間で98ページ。
恐ろしく記憶力が良いか、あるいは同時通訳並みの速さで見たものを筆記できる超能力者だったか、、それにしてもきちんとした文章で書籍化されていることを考えると、見学後毎晩遅くまでメモを整理し、新鮮な記憶がとばないうちに書き直していたに違いありません。
そうまでして身につけたかった沢田健の技術がまた凄かったのでしょう。
今回読み直して気がついたのは膀胱経の2行線が1段ずれていることでした。
膏肓(こうこう)を神堂(しんどう)の位置に、つまり通常の取穴よりも椎体1つ分下に取っていたと書かれています。
通常の取穴では膏肓は胸椎4番と5番の棘突起間の高さを横に移動して肩甲骨内側縁を通る縦の線と交わるところになります(下図の青い丸の位置)。
これが胸椎5番と6番の棘突起間の高さを横に移動したところに取っているように見えたらしいです(下図の赤い丸の位置)。
この赤い膏肓、うちの模型の形状でそう見えるだけかも知れませんが第5肋骨上に取っているようにも見えます。
普通、膀胱経2行線は椎骨の棘突起間の高さを絶対の指標にします。
だから鍼灸学校の教科書を見ても肋骨との関係はまったく考慮されていません。
仮にこれを肋骨を基準に取穴したらどんな景色が見えるか、考えてみたくなりました。
第5肋骨を脊椎の方にたどっていくとその根元は胸椎4番と5番の椎体の間に関節します。
膏肓に対応する1行線の経穴である厥陰兪(けついんゆ)は胸椎4番と5番の棘突起間に取りますから、椎骨との関係性はどちらも4番と5番の間になります。
これを他の経穴にも当てはめるとこうなります。
第2肋骨(胸椎1番と2番の椎体間に関節):肩外兪(けんがいゆ)←小腸経
第3肋骨(胸椎2番と3番の椎体間に関節):附分(ふぶん)
第4肋骨(胸椎3番と4番の椎体間に関節):魄戸(はっこ)
第5肋骨(胸椎4番と5番の椎体間に関節):膏肓(こうこう)
第6肋骨(胸椎5番と6番の椎体間に関節):神堂(しんどう)
第7肋骨(胸椎6番と7番の椎体間に関節):譩譆(いき)
第8肋骨(胸椎7番と8番の椎体間に関節):膈関(かくかん)
(とりあえず膈関まで)
最初が小腸経の肩外兪(けんがいゆ)から始めていますが、この経穴は通常でも膀胱経2行線と同じ取り方をします。
第2肋骨上としてもおさまりが良いのであえて小腸経から借りてきました。
第1肋骨を外している理由は後に述べます。
通常の膀胱経ではこのあと胸椎8番と9番の間の経穴がありません。
下部胸椎と肋骨の関係性を見るとこのようになっています。
棘突起間と肋骨の付け根の高さの違いが上部胸椎ほどありません。
膈関までと同じ取り方をすると行き過ぎてしまうため、つじつまを合わせるために8番の下をとばす必要があったようにも見えます。
(骨模型に合わせて無理やりな気もしますが・・・)
そう仮定して進めるとこうなります。
第9肋骨(胸椎8番と9番の椎体間に関節):魂門(こんもん)
第10肋骨(胸椎9番と10番の椎体間に関節):陽綱(ようこう)
第11肋骨(胸椎11番の椎体に関節):意舎(いしゃ)
第12肋骨(胸椎12番の椎体に関節):胃倉(いそう)
取穴の指標は通常の2行線と同じ、ただしあくまでも肋骨の数を絶対の指標としてカウントします。
とにもかくにもこれで第1肋骨以外の全肋骨に経穴が載りました。
こう考えると8番は欠番にならないのですね。
逆に1番(第1肋骨)が欠番になります。
第1肋骨は胸椎1番だけに関節します。
椎骨との関係性が異なるのが1番を除外する理由です。
(実は第11、12肋骨も単独の椎体に関節するので別な原理がありそうですがこれについてはまた考えます。)
ところで今回は肋骨の上に経穴を取りましたがこれは鍼を想定してのことです(気胸のリスク回避)。
沢田健は灸をよくした人でもあるので肋間でもいいような気もします。
実際のところはよく分かりません。
さてこのように取ることで見えてくる2行線の役割があるように思います。
それをこれから考えます。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師