理論化の果ての運気論医学
同じ対象を探求する上でそれが科学たりうるかどうかの条件は、誰でもが自由で公平にそれについて考えることができ、安全に議論できることだと思います。
そこでは〇〇流とか、△△メソッドとか、××テクニークの創始者、発見者といえども立場は同じになります。
探求する上での自由さ、公平さが失われたらそれは科学ではなく妄信や服従の類です。
山田慶兒氏の『日本の科学 近代への道しるべ』(藤原書店)によれば、中国医学の日本的受容においては「理論不信」のフィルターがかけられていました。
人体という同じ対象を探求する上で、陰陽・五行論、経絡などの理論を拒否し、見えるもの触れて確かめられるものから言えることに限定することから始めた点で科学的と言えるかも知れません。
しかし代わりになる理論が何か提出されたかというとそれはないままこの姿勢を突き進めた結果、江戸期に入って日本の医学は「ばらばらな断片の無秩序な、そして恣意的な適用を許す、集まり」(山田慶兒、前掲書)になりました。
今日は逆に理論化を突き進めた先の中国医学がどのようなものであり得たのか、同著者による『気の自然像』(岩波書店)を読んでみます。
『気の自然像』では陰陽・五行論に十干干支を駆使して複雑・錯綜した現象に対応可能となった中国宋代以降の運気論医学にその極限の姿を見ます。
誤解を覚悟でものすごく単純に言ってしまうと、鍼灸の医学理論は2(陰陽)、5(五行)、6(三陰三陽)といった数字の掛け合わせで人体に起こる種々雑多な現象を分類・パターン化し、対応する処方がそれにくっつくようなところがあります。
十干干支は元々天文や暦に関係が深い考え方で、これも医学に取り入れてしまうのが運気論医学です。
先ほどの2、5、6に加えて10(十干)、12(干支)を掛け合わせることでさらに複雑な分類・パターン分けができるようになります。
目に見える種々雑多な症状を分類して背後にある共通の法則を取り出して理論化する、という意味でこれはあらゆる現象を説明する原理としてとても便利です。
しかし、すでに起こった現象を説明するための原理を未来に起こることの予測、処方にそのまま適用するとどうなるか?
患者が生まれた年月日時と病気になった日時を合わせて計算、照合し、調整すべき経絡や使う薬の判断にそのまま適用するような治療がなされることもあったようです。
ここまで来ると理論の妄信です。
理論から演繹して無邪気に「効くはず」の治療に走ることに対して同時代の医家からも「無稽の術、殺人の方である。」と警告の言葉があったと山田慶兒氏は紹介します。
我々が「理論」という言葉で混同してしまいやすいのは以下の2つです。
観察可能な種々雑多な現象から背後にある共通の法則を取り出して理論化する(①)。
良い理論はまだ起こっていないことまで正確に予測することにつながり(②)、このようにして科学や技術はさらに発展することができる。
陰陽・五行論にしても運気論にしても、観察した現象に「あてはめて」説明するのにはとても便利なことは論を待ちません。
他方、ではどうしたら良いのか?につながる②ではどのくらい有用なのか。
これは臨床を通じて常に検証し続ける必要があるように思います。
理論軽視だがすぐ役立つ処方の寄せ集めとしての医学の末路を描いた『日本の科学』。
現象の観察より理論構築への熱が勝った医学の末路を描いた『気の自然像』。
両方読むと開けてくる視野があります。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師