難病治療と鍼灸と医の倫理
こんにちは!ハリ弟子です。
一昨日、昨日と現在の鍼灸は誰を相手にすべきかを考えています。
総体コストで比較優位が見込めそうな分野、養生ときて、今日は難病です。
昭和の鍼灸師の本を読んでいると「おれたちは医者が治せない患者さんを相手にしている」という言葉がひんぱんに出てきます。
現代医学では未解決の分野に鍼灸、特に古典的治療体系を使って対応してきた歴史があるからです。
かつて薬がなかった頃の結核はその代表でしょう。
病気の種類は時代ごとに変わりつつも、ある意味、過去から現在までずっと続いている流れとも言えます。
古典中国医学は、鍼灸も漢方も「証(しょう)」によって治療法を決めることができます。
そして証は生きている人間である限り、どんな人にも立てることができます。
これが現代医学との最大の違いです。
西洋医学は原因なり病気のメカニズムがかなり分かっていないと治療できませんが、鍼灸の場合は治療まではできるのです。
問題はその治療で治るかどうかです。
証が立って治療法が決まるからと言って、治るとは限りません。
治ってたら中国には病人がいないはずですが、そんなことないですよね。
昔の結核のように西洋医学で歯が立たなかった病気に東洋医学が著効したケースがあるのは事実ですが、うまく行かなかったケースもまたごまんとあるわけで、その違いを明確にしないまま雰囲気で東洋医学推しするのは技術発展を妨げます。
実際のところ、東洋医学には完成された何か神秘的なものがあるわけではなく、どうやったら治せるか漢方薬の配合を変えたり、証の考え方を修正したりとずっと取り組んできた歴史の上に今があります。
また、仮に治るとしても時間がかかるので経済的負担が大きくなります。
だからこそ指定難病という制度があって特定の病気に関しては医療費を公費負担するなどの対応がなされているわけです。
そうした方を相手に自由診療の鍼灸の料金をそのまま取れるものかどうか。
かかる回数と期間を考えると相当な負担です。
にも関わらず治るかどうか前もって相応の確実性で言えない場合には、倫理的な問題も考えざるを得ません。
難病ではありませんが、ハリ弟子のところでは音楽家のディストニアの方がいらした時は個別の状況を考えて看板どおりの料金は取っていません。
それだけ時間と回数がかかる可能性が高く、経済的負担になることが分かっているからです。
アレクサンダー・テクニークのクリニカル・レッスンの料金を決めていないのも同じ理由です。
もちろん経営の観点からは通常料金ならどれだけ金策が楽かと思いますが、医の倫理がそれを許さないと考えています。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師