鍼灸でメンタルヘルスが向上するのか?
こんにちは!ハリ弟子です。
最近、鍼灸の患者さんから以前より前向きな気持ちになってきたとお聞きすることが多くありました。
別に鍼灸を受けたからこういう変化があったと言うつもりはありません。
時期的に、冬から春そして夏へと季節が移り変わる中で、鍼など受けていなくても気分が上向きになることは普通にあるでしょう。
ハリ弟子のところでは特にメンタルな状態を改善しようとして鍼をしているわけではありません。
治療そのものはあくまでも体の不調に対するものでした。
それにも関わらず、不特定多数の方からこういう言葉をいただくのには、何かメンタルに作用するものがそもそも鍼灸に備わっているのではないかと一度考えてみても良いと思う次第です。
確かに、中国の漢代に成立した古典的治療体系のそれも黄帝派と言われる人たちの中に、現代で言うところのメンタルに起因する病への対応が求められていたとの指摘があります。
中国科学思想史の専門家、山田慶兒氏によると、当時の医家は「日常生活の環境や習慣や行為にかかわる事柄、社会的な地位や財産にかかわる事柄、身辺のできごとにかかわる心理的な事柄」を明らかにしなければ、どんなに良い治療技術があっても適用のしようがないと考えていたと言います(『中国医学の起源』岩波書店)。
今で言えば、心療内科的なアプローチといいましょうか。
ただし、向精神薬のような薬はまだない時代なので、鍼灸を使って体の表面から状態が変わるよう働きかけて、気持ちに変化が生じるようにする技術を志向していたのでしょう。
東洋医学では、そもそも体と心を分けて考えることをしません。
肝、心、脾、肺、腎という五臓には、それぞれ魂、神、意、魄、志という精神的作用があると考えます。
漢代の古典的治療は基本的に五臓の働きを整えて、全体として生命力がアップすることを目的にデザインされています。
当時の医家は、五臓が良くなれば、自動的に魂、神、意、魄、志という精神的作用、すなわち現代で言うメンタルな状態も改善されると普通に考えていたことでしょう。
ところが、現代の鍼灸師も患者さんも体に働きかける鍼灸がメンタルな問題の改善に役立つとは考えていません。
ハリ弟子も心の底ではそうでした。
我々は、デカルト以来の心を体を分けて考える西洋医学の伝統・常識の世界を生きています。
むしろ、西洋医学の現場で格闘する医師たちの中に、Biopsychosocial(生物心理社会的)といった言葉を作ったりして、その概念を再創造する動きがあるのは皮肉なところです。
治療に格闘する体験の中で、そのような考え方が必要なものとして生まれてきたのでしょう。
鍼灸学校でも、東洋医学では心と体を一体として考えるということは言葉、知識としては覚え込まされます。
しかし、元々がデカルト的な世界観で生きてきた人の常識を知識で変えるのは困難です。
常識や思い込みを変えるには体験をともなう必要があります。
ハリ弟子は、最近になってようやく本当にそうかも知れないという気持ちになってきました。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師