弦楽器の「腕の重さ」を考える(その2)
こんにちは!ハリ弟子です。
弦楽器の「腕の重さ」の話の続き、今日考えたいのは成果です。
「腕の重さを弦にかける」という言葉、よく考えると演奏のやり方について指示した表現です。
腕の重さを弦にかけて弾いた結果、どうなるのかは語っていません。
これをやるとどんな成果が得られるでしょう?
言いかえると、「腕の重さを弦にかける」という言葉で先生が生徒にやってもらいたいと考えたことができているかどうかを判断するその基準は何でしょうか?
この言葉にまつわる理解の迷走ぶりを考えると、実はこの点について先生と生徒の間で共通理解が得られていないことがほとんどではないかと思います。
仮にもし腕の重さを弦にかける理由が望む音を得ることだとしたら、どんな音が望ましいのか、成果である音の概念を共有している必要があります。
もちろん音楽には奥が深くてすぐには理解できないこともあります。
たとえば音の響きの良し悪しなど、微妙な違いになればなるほど差を認識するために訓練が必要なこともあります。
もしも響きの違いを聞き分けられないために成果についての基準を共有できないのであれば、むしろ音を聞く練習が先に必要、あるいは同時にやっていく必要があると思います。
いやもしかしたら音の響きだけではなく他にもいくつかこの言葉が象徴する成果があるのかも知れません。
だとしたらなおのこと、何と何と何と何に着眼するのかブレイクダウンしないと言われる側はちんぷんかんぷんになるでしょう。
ハリ弟子もこの言葉の意味を理解していないので、相当に想像をまじえながら考えていますが、目指す到達点に対して途中のロジックや必要なことのブレイクダウンをかなりはしょった言葉であるような印象はあります。
腕の重さという言葉を使う時、自分が何を求めているかクリアでしょうか?
クリアだとしたらそれは何でしょうか??
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師