脱力の勘違い?ベースの左手に必要なもの
こんにちは!ハリ弟子です。
いつだったか、Body Chanceで校長のJeremyにこう言われたことがあります。
「人は何かに触れると無意識にそこに体重をかけてしまうが、その反応は自然なことです。」
自然な反応ではあるものの、アレクサンダー・テクニークを教えるのに手を使う時は、反応に身を任せるのではなく、触れるだけなのか、触れながら押すのか、触れながら引くのか、意図してやります。
こういうのは、マッサージの業界でもとてもうるさいところです。
さて、そんなことを考えながらベースを弾いていて、気づいたことがあります。
手がネックに触れた瞬間、腕の重さをネックに預けるようなことをしているのです。
これって、無意識にそこに体重をかけてしまうっていう正にそれ?と思いました。
トリッキーなことに、指→弦→指板へと重さがかかるので、あたかも腕の重さを使って効率的に押弦をしているかのような気になります。
でも実際には指をひっかけて腕をぶら下げてるようなものなので、運指には明らかに不利です。
アレクサンダー・テクニークを使って、体全体に適度な張りを持たせながら左手をネックに触れると、腕の重さをネックに預けなくても済みます。
腕の自重がネックにかからないので、指がとても動かしやすくなり、運指も楽になりました。
今まで、親指ポジションから普通のポジションに戻った時の小指の押弦が大の苦手でした。
第2関節で中折れしてしまうのです。
ところが、この発想で弾いてみると、中折れもなくすんなりと通過してしまいます。
感覚的には、腕に力が入ってなくて、指も少ない力でスムーズに動く感じです。
もしかしたら、弾けている人はこういうのを「脱力」と言うのかも知れません。
でも、「脱力」という言葉から、とにかく力を抜くことをイメージすると、②の写真のようになりがちです。
これまでのハリ弟子の持ち方を少し誇張するとこんな感じです。
違いが分かりにくいですが、親指と小指の見え方の違いから、下方向に重さがかかっていて、腕が若干回外ぎみになっています。
腕の力を抜いたら楽になるはずが、逆にその方が疲れるし指を痛めやすいという逆説、、
アレクサンダー・テクニークを経験した人は「体がふわふわ浮いているみたいで楽です」とよく言います。
ふわふわ浮いてるってことは、上に持ち上げているはずで、てことは重力に反して力を使ってるんだからむしろ疲れるのでは?
逆に力を抜いたら重力に従って下に落ちるんだから、重みを感じるってことは楽になってるはずだ。
普通はそう考えます。
ハリ弟子も、重みを感じる→脱力できてる→楽にできるはず、という思い込みがありました。
一見論理的で間違ってなさそうなので、疑うという発想もなく、改善のポイントにすらなっていませんでした。
でも、ブレイク・スルーは、まさにそういうものの中に隠れていたりするのですね。
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師