気が気になる
鍼灸の専門学校に入りたてのころ。
気を感じられないと鍼灸ができないと思っていました。
だって鍼灸の本に必ずと言っていいほど書いてあるじゃないですか。
「気の医学」とか「気を調整する」とか。
ということは気を感じとるためのなんらかの修行法とか練習法があるに違いないと思うわけです。
そんなとき本場中国の中医学の大学にある気功学科ではこんな試験があると聞きました。
「真っ暗な部屋の中に教官が1人座っている。教官が立てた指の先から出る気の形を答えるのが期末試験の課題になる。」
この話の真偽は分かりません。
当時思ったのは、ガチで気を見る授業がどうもあるらしいということでした。
やっぱあるんだ!と思って専門学校の先生に聞きました。
「中国ではそういうのテストがあるらしいですけど、うちではやるんですか?」
そしたらとある伝統の鍼灸学校の名前をあげて「う~ん、、あそこならもしかしたらやるかもね。。。」と答えられました。
とある学校とは東洋医学的鍼灸のブランドイメージがある東京の学校です。
本当のところは知りません。先生もそこの卒業生じゃないし(多分)適当に答えられたと思います。
自分の学校では学べないらしい、くらいにはメッセージは伝わりました。
じゃどうすればいいのかな?と思いながら太極拳とか合気道とかやる鍼灸師も多いので、その手の武道系もいくつか調べたりしました(結局やらなかったけど)。
そうこうするうちに鍼灸学校と同時に始めていたアレクサンダー・テクニークの教師養成校でも「気が分かる」とか「エネルギーワークをやる」という先生がいたので、洋物でちょっと違うかもだけどとりあえずここでやってみようと思ってそのままになりました。
誤解ないよう説明するとアレクサンダー・テクニークをやると気が見えるようになるわけではありません。
元々そういうけのある人(スピっぽいとか)がアレクサンダー・テクニークをやると、そういうちょっと不思議なレッスンをする先生になる、ということです。
そういう先生の授業では、相手に背を向けた状態で(相手を見ないで)相手の体の動きのかたいところを自分の体の中に感じるとか、自分の頭の中で思うだけで(言葉で説明せずに)そのとおりに相手に動いてもらうとか、そんな練習もしました。
後者の練習では、僕が思ったことを「これでしょ」と言い当てた上でやってくれる先生もいたりして、こういう人はすげえなと思いました。
とはいえほとんどのケースにおいて「気が通った」とか言って起こっていることは、皮膚の張りなんかも含め体の固有感覚が変わった、と僕なら表現するものと判断しました。
そのあともう一度鍼灸で言う気の探求に戻って、一時期勉強会で会う先生に「気がいたった」ときになにが起こっているのか聞くようにしていました。
温かくなる、やわらかくなる、肌質が変わる、などいろいろあって一人だけ「自分の首の後ろがぞわぞわする」と答えた先生がいました。
最後の方だけが不思議な感覚というか体験でしたが、ほとんどの人はなんらかの五感を気と言いかえていることがだんだんと分かってきました。
鍼灸の世界で五感以外の感覚で気を直接見ると主張する集団は僕が知る限り1つだけあります。
有川貞清という内科医が始められた始原東洋医学というもので、彼らは気滞の有無とその場所を文字どおり見るそうで、その練習法もある程度確立されているようです。
その彼らも実際に鍼や灸をするツボを探すには磁石を使うようで、五感で感知する世界にぐっと寄せているように見えます。
気が見える=施術できるでもないらしいのですね。
鍼灸は道具の特徴としてツボを特定しないと施術ができません。
「気が見える + ツボを決めることができない」と
「気が見えない + ツボを決めることができる」だったら、
後者の方が鍼灸の施術としては成り立ちます。
今までのところ僕が見た鍼灸師は全員が五感に基づいてツボを決めていました。
ここまで整理したうえで、では気が見えることの不可欠性ってなんだろうか?と考えているのが今ここ。
特にオチはありません(笑)
2016年、東京都練馬区の江古田にて音楽家専門の鍼灸治療院を始める。
2021年、東京都品川区の鍼灸院「はりきゅうルーム カポス」に移籍。音楽家専門の鍼灸を開拓し続ける。
はり師|きゅう師|アレクサンダー・テクニーク教師